平成19年度の発掘調査 1. 土佐国道事務所関係 (1) 高知南国道路 西野々遺跡 (2) 南国安芸道路 徳王子広本遺跡 (3) 高知西バイパス 城ヶ谷山遺跡 (4) 四国横断自動車道関係 坪内遺跡(整理作業) 西山城跡(整理作業) 2. 高知河川国道事務所事業 (1) 波介川河口導流事業 上ノ村遺跡 3. 中村河川国道事務所事業 (1) 中村宿毛道路 坂本遺跡(整理作業)
上ノ村遺跡
上ノ村遺跡は,高知平野西部を潤す仁淀川右岸に立地する遺跡です。平成16年から調査を開始し,今年で4年目を迎えています。 遺跡の中心となるのは古代と中世で,方形の掘り方を持った建物跡や屋敷の区画溝などが検出されています。 遺物では,貿易陶磁器とともに常滑焼や紀伊産の土師器甕などが多く出土していることが注目されます。当遺跡には,「古津」という地名が残っているところがあり,古くから仁淀川の河川交通の要衝であったことを想定するこのができます。多くの搬入遺物は,このような遺跡の性格を反映しているものと考えられます。右上の写真は14世紀代の溝に投げ込まれた石群の検出状況と作業風景で,左右の写真は青磁碗(左)と瓦質土器羽釜(右)の出土状態です。 (07.06.06)
新居城跡の直下に位置する調査区から溝跡が確認され,昨年度に引き続き調査を行いました。 昨年度調査が行われた調査区ではでL字状に延びる中世の堀と考えられるV字状の断面を持つ溝跡を検出し,溝跡は東側に延びていることが判明しました。これを受け本年度,溝の延長を調査することとなりました。 当初は,近年の掘りに囲まれた屋敷等の研究の成果からL字状の屈曲部から半町(約50m)直進し屈曲して新居城跡に向かい,新居城跡下をコの字状に囲っているものと推定しましたが,調査の進展に従い当初直進すると想定した部分から溝跡は検出されませんでした。 調査の結果,昨年度の調査区東端部で北側に約20度屈曲し約16m直進した状態で検出しました。上端幅は約2m,深さは約1mで底に行くほど幅が狭くなっているV字状の断面形を持っており,方向は当初の想定と異なっていましたが規模は昨年度検出部分と同じでした。また,堆積状態状況から水が溜められていた掘りでなく空堀であったことや遺物の出土量は少なく自然に長期間かけ埋没したものでなく比較的短時間に埋没した可能性が考えられる点も昨年度調査の結果と同一でした。遺構の時期についても昨年度調査で14世紀を中心とする遺物が出土しており,本年度の調査でも同時期の遺物が出土し,14世紀の遺構の可能性がさらに高まりました。 本年度の調査で最も大きな成果は,この溝跡の東端部を検出できたことです。平面検出時溝跡東端部は近世の攪乱坑に壊された状態であり当初の予想から近世の攪乱坑に一部は壊されていましたが延長はさらに続くものと想定していました。しかし,掘削の結果,攪乱坑の手前で急激に立ち上がり,攪乱坑部分で終わっていることが判明した。さらに今回の調査区では溝の延長が推定される部分で検出されていないことから土橋ではないもとも確認できました。 この結果,堀跡と考えられる溝跡は南北に10m,東西にやや屈曲して33mの長さである事が判明し,コの字に新居城跡野山下を囲う構造ではないことが明らかとなりました。(07.06.28)
6月後半から東端の調査区(3区)に移りました。3区は,戦国期の山城である新居城の東側山麓部に位置し,仁淀川に最も近い調査区でもあります。小字では古津と呼ばれており,調査区北側にある堤防を越えると戦後まで使われていた「渡し」の跡が今でも残っています。 これまでの調査で,この「渡し」は古代・中世にまで遡り,仁淀川を利用した河川交通の要衝となっていたことがわかってきましたが,今回はその中心部に調査区を設けたことになります。 試掘調査では,縄文時代晩期から中世までの遺物が確認されていましたが,本調査に入って近世の生活面もあることがわかりました。屋敷の石積みの一部と考えられる石列を,新居城山麓の南北ラインに沿うように長さ20m程検出しました。土坑や柱跡と思われるピットも見られ,古唐津や肥前系の陶磁器類が出土しています。 現在は,近世面を下げて中世の遺構検出を行っていますが,青磁,白磁など貿易陶磁器や常滑や瓦器椀などの搬入品が数多く出土しており,物資の集積地を彷彿とさせるものがあります。今後調査が進めば,川津に関連する船着き遺構などが検出される可能性もあります。(07.07.30)
先月に引き続き3区の調査を実施しています。ここは,戦国期の山城である新居城の東側山麓部に位置し,仁淀川に最も近い調査区でもあります。小字では古津と呼ばれており,調査区北側にある堤防を越えると戦後まで使われていた「渡し」の痕跡が今でも残っています。 現在は,近世の遺構面の調査を終了し中世面の調査を行っています。多くの柱穴とともに南北方向に走る溝が検出されています。この溝は確認延長20m以上,幅1.5m,深さ60cmほどのしっかりした溝で,埋土からは土師器杯・皿などとともに常滑焼きの大甕の破片や東播磨系の甕やこね鉢がたくさん出土しています。また床面に大きな河原石を敷き詰めた土坑も見つかっています。この他,青磁や白磁,瓦器椀なども引き続き出土しており,上ノ村遺跡が仁淀川を利用した水運交通の要衝であり重要な役割を担っていたことを改めて認識することができます。9月中には現在の遺構面の調査が終わり更に下層の生活面へと調査を進めてまいります。(07.09.04)
先月に続いて3地点を中心に調査を行っていますが,新たに新居城の山腹部分(6地点)の調査も併行して実施しました。3地点は,鎌倉時代(13〜14世紀)を中心とした遺構・遺物が出土しています。遺構は建物の柱穴や溝,土坑などが出ており,遺物は青磁や白磁などの貿易陶磁器,土師器甕や瓦器椀,東播磨系のこね鉢,常滑焼き大甕などの日常雑器類が出土しています。この他,3地点の東端で検出した土坑から中国からの輸入銭が出土しています。「開元通宝」・「永楽通宝」などが8枚重なって床面から出土しました。ひもに綴られていたものと思われ,当時の貨幣流通の有り方を知ることのできる資料です。 6地点には4個所にトレンチを入れました。新居城に関連する遺構を確認することはできませんでしたが,東播磨系こね鉢片(14世紀代)が1点出土しています。これまで城の年代を知る資料に欠けていましたが,一つの手がかりとなるものです。6地点からは,第二次世界大戦末期に作られた塹壕も発見されており今回調査しました。塹壕は延長20mでジグザグ状に掘られ,幅1m,深さは最も深いところで1.2mほどです。1945年6月ごろ本土決戦に備えて,この周辺に展開していた歩兵44連隊第1大隊第1中隊の兵士によって掘られたものです。この塹壕については,9月16日に現地説明会を行いました。また,10月25日(水)午後1時30分から遺跡見学会を開催しますので,発掘調査を行っている状況を見てもらうことができるのではないでしょうか。奮ってご参加下さい。(07.010.07)
先月に引き続いて3区の中世(鎌倉時代)遺構面の調査を行っていますが,調査区の西部から縄文時代や弥生時代の土器や石器が新たに出土しはじめました。縄文時代の土器は晩期に限られており深鉢を主体に研磨された浅鉢も見られます。石器では石鏃,石包丁状石器,石斧,たたき石などが出土しています。 弥生時代の遺物は,中期の壺や甕,磨製石斧などをあげることができます。 これらの遺物が出土した層準は,新居城の裾部に斜面堆積したもので純粋な遺物包含層を形成するものではありませんが,調査区に隣接して縄文時代晩期の遺跡が存在したことを示しています。上ノ村遺跡はこれまで弥生時代中期が最も古い時期とされていましたが,その成立がさらに古く遡ることが明らかとなりました。 上ノ村遺跡の東には戦後築かれた仁淀川の堤防が走っていますが,実はその内側に旧堤防と呼ばれているもう一つの堤防が築かれております。現堤防が築かれるまでは,上ノ村の集落や田畑を洪水から守る大切な役割を果たしてきました。旧堤防の構築年代は判っていませんが,今回の調査で一部ですが断面観察をすることができました。もとの堤防に繰り返し土盛りをして強度を高めている様子が断面写真から窺うことができると思います。先人たちの汗の結晶に触れることのできる場面だと思います。(07.11.1)
調査に入って早や4回目の暮れを迎えようとしています。中世面の調査がほぼ終了し,さらに下層に進んでいます。中世面の下は厚さ2m程の河川堆積物が見られ文化層は認められませんが,山裾部分には縄文晩期土器を多量に含んだ層準の斜面堆積が形成されています。斜面に沿って幅10m前後,長さ40m,厚さ最大で1m程の堆積です。この層準には縄文後期土器や弥生土器,須恵器も少し混在していますが,地山面直上や斜面をテラス状に削り出して作っている平場やその中に掘られた溝状の窪みからは一括性の高い晩期の遺物が出土しています。 土器は,四万十市の中村貝塚をタイプサイトとする中村1式土器が主体を占めています。口縁外面に無刻突帯文を貼付し,内面には沈線を施す特徴を有していますが,胴部外面に鈍い沈線を持つものが見られる点が従来知られている中村1式と異なるところです。底部は全て上げ底で,胴部外面には条痕調整が顕著に施されています。浅鉢はいわゆる黒色磨研土器で占められています。 石器は磨製石斧,石鏃,叩き石が出土しています。当該期の四国西南部に多い打製石斧はほとんど見られません。磨製石斧の石材は蛇紋岩や結晶片岩,石鏃はサヌカイト,チャート製です。姫島産黒曜石のチップも散見されます。また装飾品ではヒスイの勾玉が1点出土しています。 仁淀川流域は,居徳遺跡や倉岡遺跡,北高田遺跡など縄文晩期の遺跡が比較的多く知られていますが,中村1式土器の出土は今回が初めてです。今回の出土で南四国中央部の空白の一型式が埋まったことになります。深鉢の胴部沈線の存在や石器組成の違いなど西南部に比べて独自の地域性も明らかにできそうです。(07.12.12)
上ノ村遺跡発掘調査は昨年の4月から調査を開始しましたが,2月末の調査終了に向かってラストスパートをかけているところです。 本年度の調査は1-3拡張区をはじめし1-4区,1-5区と続く1地点の調査,最も仁淀川よりの調査区である3地点の調査,平成16年度に調査の行われ数々の木器が出土した北ノ丸遺跡に隣接した4地点,そして新居城跡である6地点の調査の調査が行われました。現在は3地点の山際で確認できた縄文時代の確認と1-5区の調査が行われてきました。 12月からは最終調査区である1-5区を掘削中です。1-5区は新居城跡の山麓部にあたります。この調査区は試掘調査で上下2面の遺構面があることが確認されていました。今年度の調査では上面の遺構のみの調査を行い,下面の遺構は次年度に継続して調査を行う予定です。現在は遺構掘削作業を行っています。検出した遺構は柱穴がほとんどで約500個を確認しています。他の調査区と比較しても遺構密度が高く集落の中心部分の可能性が考えられます。遺構の時期は概ね3時期に分けられ,江戸,室町,鎌倉の各時代が対応していると考えられます。遺物では瓦器,青磁,白磁などの中世を中心とする土器や鏃などが出土し,包含層中からさらに古い古代,古墳時代の須恵器なども出土しています。 調査は2月中に終了する予定ですが2月末には現地説明会も予定しています。来年度の下面遺構の調査も古代,古墳時代の遺構の確認が期待されます。(08.2.6)