・・・掲載コラム・・・

高知県の縄文時代
       前田光雄

高知県の弥生時代
       出原恵三

絵画銅剣の意義
       岡本桂典

土佐の青銅器
       出原恵三

古墳の話
       廣田佳久

中世城郭の変遷
       松田直則

弥生時代

出原 恵三

 近年,高知県における発掘調査件数の増加と,その結果もたらされる地下からの情報は,質・量共に目ざましいものがあります。その中でも今回のテーマである弥生時代に関しては,特に注目すべき成果が挙っています。今まで私たちが描いてきた通説をいくつも覆し,新しい弥生時代の歴史像の再構築を迫りつつあります。このような新知見をもたらせる糸口となっていたのは,皆さんよくご存知の田村遺跡の発掘でありますが,ここではそれに加えて最近の成果をもとに高知平野を中心に弥生文化の成立と展開について述べてみたいと思います。
 弥生時代は,紀元前3〜4世紀頃(今から2,300年前)に始まり,西暦3世紀頃まで続きます。この600〜700年の間に大陸の金属器文化に触れ,食糧生産における米の比重は大変大きくなり,社会の変化はそれまでとは比較にならないほど速くなっていきます。弥生時代は,それ以降現代に至る
までの社会の在り方やその仕組を規定した時代とまで言われています。弥生時代は,一般に前期,中期,後期と大きく3つに時期区分されています。以下時代別に見て行きたいと思います。
  弥生時代前期でも最も古い時期の集落が田村遺跡から発見されました。竪穴住居と掘立柱建物,墓,土坑などからなる集落で,ほぼその全容を明らかにすることができました。竪穴住居は,大・中・小さまざまなタイプがありますが,最も注目すべき点は大・中型に見られる住居の構造であります。この特徴は住居の床面中央部に楕円形の大きな穴を掘り,その両脇に小さな穴が付属していることです。このような造りをもつ竪穴住居は,朝鮮半島に起源をもつ松菊里型住居と呼ばれるもので,これまで北部九州で数例が知られているだけでした。掘立柱建物は大小15棟が発見されましたが,弥生時代の前期初めにこのような建物が存在すること自体,発見当時としては全国に例のないことでした。また出土した遺物についても,大陸産の石材で作られた石器や北部九州産の石包丁などが多数出土しています。このことは高知平野が弥生時代の最も古い段階から朝鮮半島や北部九州と深い関係を持ち,新しい技術や文化を受け入れていたことを証明しています。しかし,生活に最も密着した土器には,北部九州との関係を見出すことはできません。むしろ瀬戸内海沿岸地域とのつながりの強かったことを示しています。これまで高知県における弥生文化の成立は,中村市の入田遺跡が最古で次第に西から東に伝わってきたと考えられていましたが,田村遺跡の調査によって,そのような伝播論は完全に崩れてしまいました。弥生土器の型式変化からも大陸系磨製石器の在り方からも高知県中央部に逸早く弥生文化が成立していたことが判明しました。
 前期の中頃になると北部九州産や大陸の石材は少なくなり,地元の石を用いて各種の石器が作られるようになります。これと共に未製品や製作途中の欠損品なども見られるようになります。このことは弥生文化が定着しつつあることを示している現象として理解することができます。この頃までの遺跡は,高知平野の中でも限られた地域にしか分布しておりませんが,前期も末頃(紀元前2世紀)になると集落遺跡の数が爆発的に増加します。平野部だけでなく河川の中・上流域にも見られるようになります。弥生文化の定着と発展をうかがうことができます。この時期の遺跡の調査例は数多くありますが,代表的なものとして香我美町の下分遠崎遺跡を挙げることができます。竪穴住居は確認できませんでしたが掘立柱建物や溝,多くの土坑が検出できました。遺跡が低湿地であるためにこれまで高知県では発見することのできなかった多量の自然遺物を得ることができました。シカやイノシシなどの獣骨,それに弥生時代としては全国的にもほとんど例のないツキノワグマの骨,籾,ドングリ,ヒョウタン,メロンなどの種子,またカツオの骨まで出土しています。これらは当時の人々の食生活の様子を知る上で,また当時の自然環境を明らかにする上で大変貴重な資料です。更に木製の鋤や石斧の柄,弓,建物の柱などは立ったまま出土しています。また,柱の中には直径30cmほどのヒノキ材も使われていました。
 中期に入ると前期末まで増加しつづけた遺跡数が急に減少するようになります。この原因については良くわかっていません。しかし中期末(紀元後1世紀)になると再び増加に転じます。そして注目すべきこととして,遺跡が山地の斜面や山地の頂上に営まれる例が多くなることです。いわゆる高地性集落と呼ばれているものが高知県にも現れてきます。それと同時にこれまで使用されて来た土器にも大きな変化が生じます。吉備を中心に分布する凹線文土器と呼ばれる土器が急速に広がり,それまで使われていた土器を駆遂していきます。またサヌカイトの打製石包丁や分銅形土製品と呼ばれている瀬戸内海地方に特徴的な遺物が入ってくるのもこの時期です。中期末から後期の初めにかけては,吉備からの強いインパクトの中で推移したと考えなければなりません。
 後期(紀元後2〜3世紀)に入ると中頃までは目立った動きは見られませんが,後半から末になると再び遺跡数の飛躍的な増加が認められるようになります。現在県下の弥生時代の竪穴住居は200棟程ですが,このうちの半分以上が後期後半〜末葉の50〜60年間に集中しています。古墳時代前夜のこの時期に如何に激しい人口増加があったのかということがわかります。

『埋文こうち』第8号 高知県教育委員会 1995 より