・・・掲載コラム・・・

高知県の縄文時代
       前田光雄

高知県の弥生時代
       出原恵三

絵画銅剣の意義
       岡本桂典

土佐の青銅器
       出原恵三

古墳の話
       廣田佳久

中世城郭の変遷
       松田直則
 

古墳の話

廣田 佳久

 一体どのようなものを指して古墳と呼ぶのでしょうか。いろいろ概念規定がありますが,古墳の研究で著名な斎藤忠氏は「日本古墳の研究」の中で,古墳の定義として「古代社会において遺骸を葬るために営まれた高塚」との見解をとっています。もう少し簡単に古墳を定義付ければ,「古墳時代に作られた盛り土を持ったお墓」と考えることができると思います。我々が遺跡分布調査に出かけると地元の人から「あそこに古墳があるよ」と聞くことがあります。ここでは古墳は見つかっていないはずなのにと思って,よくよく話を聞いてみると,中世の塚であったり,単に古いお墓であったりしたことがありました。古墳をお墓の総称のように考えている方がいるようです。また,高知県の場合,中世の塚はあまり見受けられず,盛り土を持っていればほとんどが古墳とみてよさそうです。
 次に古墳の特徴についてもう少し詳しくみてみましょう。戦後日本考古学界とりわけ古墳時代の研究に指導的役割を果たしてきた後藤守一博士は古墳について四つの特徴を挙げています。まず,第一の特徴は,高い墳丘(盛り土)を有することです。しかし,古墳が造られた当時,某かの盛り土があったとしても1200年以上もたった現在,盛り土が完全な形で残っているものは少なく,場合によっては盛り土の大半が削平された例もよくあります。特に,耕地面積の少ない高知県などではその傾向が強いようです。第二の特徴は遺骸をいろいろな形式の棺に納めた上,それを安置する部屋を設けたり,包み込んで埋める施設を造っていることです。棺には木製,石製,土製のものなどがみられ,木製のものには割竹形木棺,組合式木棺がありますが,ほとんどの場合,腐ってしまい残っていません。石製のものには割竹形石棺,舟形石棺,長持形石棺,家形石棺があります。土製のものには埴輪を棺に転用したものや最初から棺として製作された円筒棺などの埴輪棺,陶棺,壷や甕を棺として利用した土器棺が見られます。県下では石棺や土製のものは確認されておらず,全て木棺であったものと思われます。これらの棺を安置する部屋は多くの場合石で造られ石室と呼ばれており,竪穴式石室と横穴式石室があります。また,棺(この場合は木棺)を包み込むものは槨と言われ,木棺を粘土で包み込んで埋めた施設を粘土槨,石で包み込んで埋めた施設を礫槨と呼んでいます。第三の特徴は,棺の内及び外に各種の副葬品が置かれていることです。この副葬品によって埋葬された時期や被葬者の身分などが判明します。埋蔵文化財などを守る文化財保護法ができてからは,遺跡に対する関心も徐々に高まって来て,勝手に古墳を掘り返すことはなくなりましたが,それまではこの副葬品目当てに盗掘が行われたりしていました。また,石室の石を抜き取り橋や石垣に利用した例も見られます。今では信じられないことですが,田んぼを広げるために地元青年団が古墳を壊し,表彰されたこともありました。第四の特徴は,埋葬施設を墳頂からあまり深くないところに設けていることです。言葉を換えれば,古墳の盛り土の頂上から深さ数メートルのところに遺骸を安置する埋葬施設を設けているということです。
 これらの特徴で以前は古墳を規定することができたのですが,ここ20年ぐらい前から古墳時代に先立つ弥生時代の墓の様相が解明されるにつれ,不都合なことがでてきました。それは,弥生時代から盛り土を持ったお墓が造られていたことがわかったからです。そのようなお墓を古墳と呼ぶと,古墳時代そのものの概念が規定できなくなるため墳丘墓という名称を使っています。一方,古墳のひとつに入れている研究者もいます。
 では,日本で最初に造られた古墳は一体どの古墳だったのでしょうか。この問題を解く場合に引用されるのが「魏志」倭人伝の卑弥呼に関する記述です。それには卑弥呼の塚(墓)は径百余歩であったと記されています。これからすると卑弥呼の死んだと思われている3世紀中ごろにはすでに土盛のお墓が存在していたことになりますが,これが弥生時代の墳丘墓なのか古墳なのか考古学的にはまだ証明されていません。このことはどれから古墳と呼ぶのか,言葉を換えればいつから古墳時代と呼ぶかということに大きく関わっています。すなわち,古墳時代は,縄文時代や弥生時代が土器で時代をみていたのに対して古墳を指標にしているからです。古墳時代の土器は土師器と呼ばれ,弥生土器とは区別していますが,どの土器から土師器と呼ぶかも研究者によって意見が分かれ,古墳時代の始まりに差異が生じています。しかし,少なくとも奈良県箸墓古墳が築造されてからは古墳時代であるという点では意見がほぼ一致しているようです。西暦では3世紀末〜4世紀初頭頃になります。定型化した前方後円墳の出現をもって古墳時代とする考え方です。この考え方では前方後円墳が古墳時代の指標になることから大阪大学の都出比呂志氏は前方後円墳体制と言う言葉を使用しています。古墳には前方後円墳,前方後方墳,円墳,そして方墳の大きく4つの基本形があり,最大規模で比較してみると,前方後円墳(486m),前方後方墳(130m),円墳(105m),方墳(90m)の順にランキングがなされ,一方異なる墳形どうしを比較してみると,全長が30mの前方後円墳より径100mの円墳の方が優位にみることができるとしています。これは江戸時代の幕藩体制によく似ており,墳丘の形態が首長の系譜や格式を表現し,また,その規模が実力を示すという二重原理の身分表示としているのではないかとの意見です。このように古墳をみてみるとそれぞれの地域の位置付けがよりよく見えてくるようです。
 このようにして築造された古墳はほぼ7世紀後半には一部を除いて終焉を迎えます。一部と書きましたが,9世紀前半までは天皇陵に円墳などが採用されていたようです。因みにそれ以降しばらくの間古墳は造られなかったのですが,孝明天皇陵(1867年)から円墳が再び採用され,明治天皇陵からは上円下方墳に変わっており,昭和天皇も上円下方墳でした。
 今回は全般的なことを中心に書きましたが,各地域同じような変遷をたどっているわけではなく,それぞれ地域色があり,高知県では特にそれが顕著にあらわれています。

『埋文こうち』第8号 高知県教育委員会 1995より