マルク・シャガール展
アトリエの光
Brightness of the Studio

2009年1月27日(火)〜3月29日(日)

 ヨーロッパの北方の人々は、長い冬のあとの春の到来を待ち望み、ようやく訪れた春を満喫します。
ロシア北部の寒村に生まれたシャガールも、春の目覚めの歓びを多くの作品に結実させました。北側に明り取りの窓を大きく開けた画家のアトリエは、春の光に満ちています。
今回は、シャガールの制作した「春」をモティーフとした作品を中心にご紹介します。


作品名 制作年 技法 寸法
1 村の祭り 1908 カンヴァスに油彩 68.0×95.0
2 空を駆けるロバ 1910 55.0×46.4
3 路上の花束 1935 90.2×116.7
4 花嫁の花束 1934-46 81.5×65.5
5 オルジュヴァルの夜 1949 106.0×64.8

作 品 名 制作年 技法 寸法(cm)
1 窓辺の自画像 1957 リトグラフ 55.0×40.0
2 画家とモデル 1963 32.5×24.9
3 生きる歓び 1967 36.4×55.4
4 窓の前の花 1967 45.0×42.7
5 幸福 1969 56.0×38.0
6 オークル地の自画像 1970 31.5×21.0
7 開いた窓 1974 69.0×52.5
8 五月の光 1972 63.0×38.5
9 画家の家族 1972 55.0×42.0
10 黒地の画家 1972 55.8×38.0
11 自画像 1974 59.0×45.0
12 青い花束 1974 64.5×48.0
13 光に満ちたアトリエ 1974 45.0×36.0
14 小さな窓 1974 33.0×25.0
15 画架に向かう二重の自画像 1976 34.0×26.0
16 アトリエの光 1976 53.0×40.5
17 アトリエの鳥 1976 55.5×37.5
18 絵の前の画家 1978 41.0×31.0
19 黒い背景の画家 1980 43.5×36.1
20 青いアトリエ 1983 50.6×35.0
21 芸術家のインスピレーション 1983 66.0×49.5
22 帽子をかぶった画家 1983 47.0×31.5
23 春の追憶 1983 47.3×31.3
24 赤い上着の画家 1984 41.5×31.0
25 緑の枝 1984 60.5×47.0
26 画家と蝋燭 1984 44.0×33.8
27 花咲く画架 1984 32.5×25.0
28 光の春 1985 46.5×38.4
29 青春 1985 63.5×47.5
30 もう一つの清澄に向かって 1985 42.0×33.0
今回出品の版画作品はすべて故・大川功氏のご寄贈によるものです。


■シャガールと同時代の画家たち
作家名 作品名 制作年 技法 寸法
1 中沢竹太郎 早春賦 1974 シナベニアパネルにマウントした紙に油彩 118.0×48.6
2 山峡早春 1955 ベニヤ板にマウントした紙に油彩 95.5×115.9
3 濱口喬夫 老樹の春 U c .1993 カンヴァスに油彩 78.7×115.5


マルク・シャガール Marc Chagall (1887-1985)
 ロシア、現在のベラルーシ共和国にある寒村ヴィテブスクの貧しいユダヤ人の家庭に生まれ、帝都ペテルブルグの美術学校で学ぶ。1910年から14年までパリに住み、詩人サンドラール、アポリネールらと親交を結ぶ。キュビスムの空間的効果、ドローネーらの鮮烈な色彩表現に影響を受けたが、子供の頃の記憶からイメージを引き出し、詩的で豊穣な、シャガールならではの幻想的な様式を展開。1914年、ベルリンの表現主義の牙城シュトゥルム画廊で個展を開催、その後も同画廊と関係を保ち、ドイツ表現主義の運動に影響を与える。二度にわたる世界大戦の戦火や、ヨーロッパ中を踏みにじったナチ政権によるユダヤ民族迫害、アメリカへの亡命、制作の霊感の源であった愛妻ベラの死去など、さまざまな苦難を乗り越えて画業を深め、世界中の人々に愛と希望を与え続けた。1950年から南仏のヴァンスに定住し、晩年にいたるまで旺盛な制作意欲を発揮したが、1985年に惜しまれつつ逝去。享年97歳。


中沢竹太郎 Taketaro Nakazawa (1908-1983)
 高岡郡窪川村(現・四万十町)で生まれる。1926年、県立高知工業学校電気科を卒業、高知師範学校へと進み、1929年に卒業。小学枚の訓導を始め、山脇信徳に師事。学校教論、兵役を経て、49年に高知大学助教授、61年教授へと進んだ。画歴は35年に帝展に水彩画「金魚」を初出品したのをスタートに、主として一水会に出品、56年には日展にも「風景」を出品した。セザンヌの画面構成を徹底的に研究し、端正な画風は異彩を放った。県内では、戦後第1回高知県美術展で高知新聞社賞を得、温雅な点描画法を駆使した福井風景など閑寂な冬田風景は中澤芸術の粋を示したものであった。若いころから岸田劉生の画風を学び、焼き物の魅力を画面に定着させる特異な画境を開き、晩年は「壷の作家」と称され、その写実の極は他の追随を許さぬものであった。


濱口喬夫 Takao Hamaguchi (1908-1995)
 高知市に生まれる。1926年、高知県立中学海南学校(現・小津高校)を経て東京美術学校油画科に入学、藤島武二に師事。父の妹、寛子が寺田寅彦夫人である関係で、寺田寅彦とヴァイオリンやチェロの合奏、絵画論を交わして感化を受ける。1932年、東京美術学校卒業後、1936年、高知市立尋常高等小学校に美術教師として赴任する。支那事変の際に召集され、復員後に神戸へ移住。同郷の小松益喜を通じて小磯良平を紹介され、以後指導を受ける。1941年再度応召し、終戦までタイ、ビルマを転戦。1947年、ビルマ抑留から帰国、翌年から1980年まで高知県内の県・私立高校で美術教師として教壇に立つ。暫く制作しなかったが、1969年から再び制作を始め、高知の自然をモティーフとした作品を制作し、晩年はビルマに旅行して戦友の鎮魂の思いを込めたパゴダ(仏塔)の光景や四国山系に根を張るブナの老樹等を描いた。