高知県立美術館名品展 「美との出会い―郷土の作家を中心に」 

「美しい絵」と聞いたとき、どんな絵を思い浮かべるでしょうか。
美しさの基準は、人それぞれ異なります。実物とそっくりに描かれた絵を「美しい」と思うこともあれば、抽象絵画の色や形の組み合わせに「美しさ」を感じることもあるでしょう。色がなく、白と黒だけのモノクロームの画面に魅力を感じるときもあるかもしれません。
高知県ゆかりの作家を中心に、収蔵品から様々な美しい美術作品をご紹介します。多彩な美との出会いをお楽しみください

会期 :2008年5月14日(水)〜6月29日(日) 会期中無休
開催時間 :午前9時から午後5時まで(入場は午後4時30分まで)
会場 :第4展示室
観覧料 一般350円(280円)・大学生250円(200円)・高校生以下無料
* ( )内は20名以上の団体料金
* 身体障害者手帳、療育手帳、障害者手帳、戦傷病者手帳および被爆者健康手帳所持者とその介護者(1名)、高知県および高知市長寿手帳所持者は無料
* 高知県立美術館メンバーシップKoMPal会員証(5000円)および年間観覧券(2500円)ご持参の方は無料。

★ギャラリートーク  毎週土曜日 午後1時より(30分程度)
■ 会期中の毎週土曜日午後1時から学芸員によるギャラリートーク(作品解説)を行います。参加費無料(要観覧券)
  作品の見どころやエピソードをお話します。お気軽iご参加ください。直接会場にお越しください

出品作品リスト

作家名 作品名 技法・素材 制作年 寸法
1 石川寅治 Toraji Ishikawa 金魚 Goldfish 油彩・カンヴァス oil on canvas 1908年頃 ca.1908 117.2×81.5
2 高橋虎之助 Toranosuke Takahashi Father 油彩・カンヴァス oil on canvas 1938年 1938 116.9×91.0
3 山本茂一郎 Moichiro Yamamoto 踊り子 Dancer 油彩・カンヴァス oil on canvas 1959年 1959 73.0×61.0
4 和田 薫 Kaoru Wada くつろぎ Relaxation 紙本彩色 color on paper,framed 不詳 116.9×91.0
5 浜田葆光 Hoko Hamada 河添の工場 Riverside Factory 油彩・カンヴァス oil on canvas 1911年 1911 33.0×45.2
6 山脇信徳 Shintoku Yamawaki 夕日 Sunset 油彩・カンヴァス oil on canvas 1910年 1910 23.0×33.0
7 西内清顕 Kiyoaki Nishiuchi 鯨波風景 Landscape of Kujiranami 油彩・カンヴァス oil on canvas 不詳 unknown 90.5×117.5
8 西岡瑞穂 Mizuho Nishiuchi パリのアトリエ Atelier in Paris 油彩・カンヴァス oil on canvas 1926年 1926 50.0×61.3
9 中沢竹太郎 Taketaro Nakazawa 古伊万里蛸唐草文徳利図 Old Imari bottle シナベニヤに紙、油彩 oil on paper 1975年 1975 60.5×49.8
10 信清誠一 Seiichi Nobukiyo 梨のある静物 Stil lief with pear 油彩・カンヴァス oil on canvas 1920年頃 ca.1920 37.6×45.4
11 加藤勝久 Katsuhisa Kato 白い影―歳月― White Shadow-The time- 油彩・カンヴァス oil on canvas 1992年 1992 194.0×162.0
12 末田光一 Koichi Sueta 不在の裏側―作られた情況- The reverse Side of Absence -created situation- アクリル・カンヴァス aclyic on canvas 1991年 1991 162.0×194.0
13 幸徳幸衛 Yukie Kotoku 思地 Omoiji 油彩・カンヴァス oil on canvas 1931年 1931 116.8×91.1
14 上島一司 Issi Kamijima 池川神楽 Kagura of Ikegawa 油彩・カンヴァス oil on canvas 1971年 1971 112.5×145.5
15 藤田太郎 Taro Fujita 苔寺林泉 Moss Garden of Saihoji Temple,Kyoto 油彩・カンヴァス oil on canvas 1941年頃 ca.1941 116.6×96.0
16 高橋虎之助 Toranosuke Takahashi 春日の杜 Woods of Kasuga,Nara 油彩・カンヴァス oil on canvas 1918年 1918 91.0×116.6
17 宮地俊一郎 Shunichiro Miyaji 丘の街 City on the Hill 油彩・カンヴァス oil on canvas 1983年 1983 130.4×162.1
18 真垣武勝 Takekatsu Magaki エーゲ海・ミコノス(裏通りのカフェ) Aegean Sea,Mykonos ; caf? in an alley 油彩・カンヴァス oil on canvas 不詳 unknown 38.0×45.5
19 竹村文男 Fumio Takemura サン・ピエトロ・早春 Early Spring in Saint Peter 油彩・カンヴァス oil on canvas 1982年 1982 130.2×162.5
20 蒔田瑞三 Mizumi Makita スペッロのマドンナ又は訣別 Farewell or the Madonna of Sperro 板にテンペラ tempera on board 1986年 1986 80.3×65.3
21 片木太郎 Taro Katagi モレの運河 Canal of Moret 油彩・カンヴァス oil on canvas 1975年 1975 60.6×72.7
22 別府道雄 Michio Beppu カシミール盆地の春 Spring in Kashmir Basin 紙本彩色,額 color on paper,framed 1990年 1990 162.0×214.5
23 山脇信徳 Shintoku Yamawaki 欧州風景 Landscape of Europe 油彩・カンヴァス oil on canvas 1925〜28年 1925〜28 84.0×115.0
24 広瀬東畝 Toho Hirose 孔雀図 Peacock 六曲一双屏風,紙本彩色 color on paper,pair of six-fold screens 大正期 Taisho era 169.5×363.0×2
25 合田佐和子 Sawako Goda ばらの天地創造 Creation according to Genesis of Rose 油彩・カンヴァス oil on canvas 1997年 1997 61.0×91.0
26 松本 旻 Akira Matsumoto 配置(転回W7) Rotation W7 木版 woodcut 1990年 1990 79.7×79.7
27 松本 旻 Akira Matsumoto 転回(W7−き) Turn"W7-ki" 木版 woodcut 1990年 1990 79.7×79.7
28 森田 早稲 Hayane Morita 作品 Work 油彩・カンヴァス oil on canvas 1981年 1981 73.0×60.7
29 小原義也 Yoshiya Ohara Work-94-No.20 Work-94-No.20 アクリル・カンヴァス aclyic on canvas 1994年 1994 130.3×193.9
30 清原啓子 Keiko Kiyohara 卵型のスフィンクス egg-shaped Sphinx エッチング etching 1994(1982) 1994(1982) 19.9×24.5
31 清原啓子 Keiko Kiyohara 久生十蘭に捧ぐ Homage for Juran Hisao エッチング etching 1994(1982) 1994(1982) 54.9×31.0
32 清原啓子 Keiko Kiyohara 魔都夢譚 Dream story of Demon city エッチング etching 1994(1986)年 1994(1986) 47.0×30.2
33 清原啓子 Keiko Kiyohara 孤島 Solitary Island エッチング etching 1994(1987) 1994(1987) 35.8×33.7
34 柄澤 齊 Hitoshi Karasawa 方丈記6 Hojoki no.6 木口木版(凹版) wood engraving 1993〜4 1993〜4 38.5×57.5
35 柄澤 齊 Hitoshi Karasawa 方丈記8 Hojoki no.8 木口木版(凹版) wood engraving 1993〜4 1993〜4 38.5×57.5
36 柄澤 齊 Hitoshi Karasawa 方丈記13 Hojoki no.13 木口木版(凹版) wood engraving 1993〜4 1993〜4 38.5×57.5
37 柄澤 齊 Hitoshi Karasawa 方丈記15 Hojoki no.15 木口木版(凹版) wood engraving 1993〜4 1993〜4 38.5×57.5
38 石元泰博 Yasuhiro Ishimoto 「日本のかたち」より Japanese shape 写真 photograph 1974年頃 ca.1974 24.5×19.0
39 石元泰博 Yasuhiro Ishimoto 「日本のかたち」より Japanese shape 写真 photograph 1974年頃 ca.1974 24.5×19.0
40 石元泰博 Yasuhiro Ishimoto 「桂」 Katsura 写真 photograph 1981〜82年 1981〜82 22.0×28.2
41 石元泰博 Yasuhiro Ishimoto 「桂」 Katsura 写真 photograph 1981〜82年 1981〜82 19.0×24.5
42 石元泰博 Yasuhiro Ishimoto 「伊勢神宮」内宮 正殿 正面 Ise Jingu Naigu 写真 photograph 1993年 1993 22.0×28.3
43 石元泰博 Yasuhiro Ishimoto 「伊勢神宮」内宮 正殿 千木と堅魚木 Ise Jingu Naigu 写真 photograph 1993年 1993 28.2×22.1
44 石元泰博 Yasuhiro Ishimoto Flower 写真 photograph 1986〜87 1986〜87 23.9×23.8
45 石元泰博 Yasuhiro Ishimoto Flower 写真 photograph 1986〜87年 1986〜87 23.7×23.7
46 高崎元尚 Motonao Takasaki 装置 Device 板、布、ペンキ Board, cloth,paint 1994年 1994 180.0×180.0×13.5
47 石川充宏 Mitsuhiro Ishikawa Girl in the Chair Girl in the Chair 鉄、漆焼付け仕上げ、塗料 iron,Japanese lacquer,paints 1972年 1972 81.0×42.0×80.0
48 柳原睦夫 Mutsuo Yanagihara 紅・オリベ花喰笑口瓶 Red Oribe Vase 陶器 Ceramic 1992年 1992 95.0×42.0×36.0
49 柳原睦夫 Mutsuo Yanagihara 縄文式・弥生型壷 Jomon-style and Yayoi shape vase 陶器 Ceramic 2001年 2001 55.2×44.0×33.2

                                      
          片木太郎「モレの運河」         中澤竹太郎「古伊万里蛸唐草文徳利図」        柳原睦夫「縄文式弥生型壷」   

出品作家紹介(50音順)

石川寅治 Toraji ishikawa(1875/明治8年〜1964/昭和39年)
高知市に生まれる。1891年、上京し、小山正太郎の不同舎に入門する。1893年、明治美術会第5回展に初出品。1900年、パリ万博に出品。1902年、太平洋画会の結成に参加し、第1回展から出品する。1902年から1904年にかけて、欧米に渡って作品を発表。1907年、第1回文展(文部省美術展)に出品し、以降の帝展(帝国美術院展)、日展に出品を続け、監事、審査委員等として活躍、後進の指導にあたる。また、在京の高知出身の美術家たちと土陽美術会を創設した。1908年、第2回文展で《菊》が三等賞受賞、翌年の第3回文展では《葡萄》が褒状を受けた。1911〜1912年、中川八郎、吉田博と沖縄に写生旅行に出かけ、その折の水彩画をもとに画帳《琉球》を制作。1916年、サンフランシスコ世界博覧大会で《静物》で三等賞受賞。1918年、台湾総督府新庁舎議事堂の壁画を制作した。1937年から3年間、朝香宮湛子女王の絵画教授を勤めた。1938年、海軍省嘱託となり、中国や南方に派遣され、戦地の記録を絵画に残した。戦後の1947年、太平洋画会を脱会し、示現会を結成、代表となった。1953年、日本芸術院恩賜賞を授与された。

石川充宏 Mitsuhiro Ishikawa(1944/昭和19年〜 )
神奈川県小田原市に生まれる。1969年、東京芸術大学工芸科卒業。卒業制作がサロン・プランタン賞受賞、翌年は東京芸術大学安宅賞受賞。1972年、同大学院修了。同年の第4回日展に《Girl in Chair》が初入選した。1974年、神奈川県美術展工芸部門で大賞受賞。日展、日本現代工芸美術展などで多くの賞を受賞。1987年、県内工芸家に呼びかけ、カレントクラフト展を開催するなど、県内工芸文化振興に尽力している。桂浜の「坂本龍馬像」の修復にも係わり、また、高知県で開催した全国障害者スポーツ大会の記念メダル原型を制作した。1990年に高知大学教授となり、多くの後進を指導した。2008年に高知大学を退官。高知市文化プラザにて退官記念展が開催された。

石元泰博 Yasuhiro Ishimoto(1921/大正10年〜 )
アメリカ・サンフランシスコに生まれる。1924年、両親とともに高知県に帰国。1939年、高知県立農業高校卒業後、単身渡米した。第二次世界大戦勃発のため、コロラド州の日系人収容所に収容されたが、終戦前にキャンプを出ることを許され、イリノイ州シカゴに行き、1948年にインスティチュート・オブ・デザイン(通称ニュー・バウハウス)に入学、写真、デザインを学んだ。1953年、日本に来たとき、アーサー・ドレクサーとともに歴史的日本建築を視察し、初めて桂離宮と出会った。1954年から桑沢デザイン研究所で基礎デザインや写真を教え始めた(1971年まで)。1958年から1961年までシカゴに滞在し、ほとんど毎日、街を撮影した。1962年、東京綜合写真専門学校の教授に就任(1968年退任)。1966年、東京造形大学写真科主任教授就任(1972年退任)。1969年に日本国籍を取得(それまではアメリカ国籍)した。現在も東京を中心に、街の人々などの撮影を続けている。2001年、当館において「石元泰博写真展1946-2001」が開催された。1983年に紫綬褒章を受章。1996年文化功労者に選ばれた。

上島一司 Isshi Kamijima (1920/大正9年〜1994/平成6年)
高知県香美郡土佐山田町(現在の香美市土佐山田町)に生まれる。1941年、東京美術学校(現在の東京芸術大学)師範科に入学、寺内萬治郎に師事した。1944年、学徒出陣により繰り上げ卒業となり、1945年、帰郷して高知城東中学(現在の追手前高校)に勤務。1947年に第3回日展に初入選以来、生涯出品を続けた。また、1948年、第34回光風会展に《窓》が入選し、1968年まで光風会で活躍した。1949年、第5回日展で特選を受賞し、1950年に光風会会員並びに日展無鑑査となった。1951年、奈良学芸大学(現在の奈良教育大学)の創設に伴い、助教授となった(1967年教授、1985年退官)。1978年に発足した日洋展の運営委員となった。1981年、現代洋画研究会(現洋会)結成に参加(1986年解散)。1986年には新日洋会結成に参加し、常任委員に就任。1995年、遺作展が土佐山田町立美術館(現在の香美市立美術館)で開催された。

小原義也 Yoshiya Ohara(1935/昭和10年〜 )
高知県香美郡物部村(現在の香美市物部町)に生まれる。1955年頃よりモダンアート展、現代日本美術展、読売アンデパンダン展、シェル美術賞展等への出品をはじめ、多くのグループ展に参加し、個展も開催している。1997年に故郷の物部村(現在の香美市物部町)に「奥物部美術館」がオープンし、作品が収蔵されている。現在もC.A.T展など現代美術展を数多くプロデュースしている。1990年に「小原義也・浜田浄展」を開催。

片木太郎 Taro Katagi ( 1926/大正15年〜1999/平成11年)
高知市に生まれる。1951年、第5回高知県展に初入選。1954年、高知大学教育学部を卒業。1962年の第16回高知県展で3度目の特選を受賞し、無鑑査となった。紀伊国屋画廊(1983年)、高新画廊(1987年、1995年)などでの個展も開催。美術教員として、県内高校の教壇にたち、その門から作家となった教え子も数多い。没後、香美市立美術館、高知県立文学館、四万十町立美術館で回顧展が開催された。

加藤勝久 Katsuhisa Kato(1942/昭和17年〜 )
東京都目黒区に生まれる。1969年、東京芸術大学大学院美術研究科修了。同年、モダンアート展奨励賞、クサカベ賞受賞。1974年にモダンアート協会の会員となり、同協会を中心に活躍。1984年、1993年に安井賞展に入選。1987年に高知大学に着任。高知県展では褒状、特選、高知県立郷土文化会館賞展では優賞、大賞等を受賞した。1994年9月、TBSテレビ放送局の報道番組「情報スペース」において《白い影-歳月U-》他10数点がスタジオセットとして3週にわたり使用された。2006年高知大学を退官し、現在は宝塚造形芸術大学で教鞭をとっている。

柄澤 齊 Hitoshi Karasawa(1950/昭和25年〜 )
栃木県日光市に生まれる。1970年、日和崎尊夫の個展(シロタ画廊)で木口木版画と出会った。1971年に創形美術学校版画科に入学し、吉田穂高と松本旻に木版画を、日和崎尊夫に木口木版画を学んだ。1972年、日本版画協会展に初出品し、1990年まで出品を続けた。1973年、創形美術学校を卒業、また日本版画協会展新人賞を受賞。1975年、日本版画協会会員となる(1991年退会)。1977年、日和崎らと木口木版画家のグループ「鑿の会」を結成。1987年から書物や標本をテーマにしたリーヴル・コラージュとボックス・オブジェの制作を始める。2002年小説『ロンド』が東京創元社から出版され、翌年第17回下野文学大賞を受賞した。多くの書籍の挿画や新聞小説の挿絵(佐伯一麦『鉄塔家族』、小池真理子『虹の彼方』)を手がけている。2006年に栃木県立美術館で回顧展が開催された。

清原啓子 Keiko Kiyohara(1955/昭和30年〜1987/昭和62年)
東京都八王子市に生まれる。1976年、多摩美術大学に入学し、深沢幸雄、渡辺達正に師事。1980年多摩美術大学大学院に進学(翌年中退)。同年第48回日本版画協会展に《雨期》《雨期の後》が入選。1982年、日本版画協会賞受賞、日本版画協会準会員となった。1983年、第51回日本版画協会展に《久生十蘭に捧ぐ》を出品。1986年、第54回日本版画協会展に《魔都夢譚》《孤島》出品。15作家18点オリジナル版画集「夢座」(エッセイ窪田般若・中野嘉一/限定部数100、中野紅画廊刊行)に《凍花天使》を収録。1987年、心不全にて急逝、31歳だった。翌年、「清原啓子作品集」(美術出版社)が刊行された。残された作品はわずか30点だが、各地の美術館に作品が収蔵され、2006年には八王子市夢美術館で「銅版画家 清原啓子」展が開催された。当館所蔵の作品は、恩師・深沢幸雄による後刷りである。母親が高知県出身である。

合田佐和子 Sawako Goda(1940/昭和15年〜 )
高知市に生まれる。1962年、武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)本科商業デザイン科卒業。1965年、瀧口修造のススメでガラクタによるオブジェ作品を発表してデビュー。1971年、ニューヨーク滞在中に道で拾った銀板写真がきっかけとなり、以後は写真をみて描く油彩画の制作を行うようになった。1980年代にはポラロイド、パステル、鉛筆画、16ミリ、ヴィデオ、写真、エッチングなどを次々と発表。また、1966年からは唐十郎、寺山修司らの舞台、映画美術も多数担当した。2001年に、当館で「森村泰昌と合田佐和子展」が開催された。

幸徳幸衛 Yukie Kotoku(1890/明治23年〜1933/昭和8年)
高知県中村市(現在の四万十市)に生まれる。父を亡くした後、叔父の幸徳秋水に引き取られ、東京英語正則学校に学ぶ。1905年、秋水とともに渡米(翌年、秋水のみ帰国)、バークレー美術学校で学び、1907年、ロサンゼルス市に移り、市立美術学校、アート・インステティートで絵画を学んだ。1911年、叔父秋水が大逆事件で刑死したことから、自ら死影の号を付けたといわれる。1918年、パシフィック・コースト展に入選。1920年、ロサンゼルス美術館展でロビンソン賞受賞。1920年から24年にかけて、カリフォルニア・アート・クラブ年次展と南カリフォルニア絵画彫刻展に出品。その間の1921年には、上山島城男らと日本人美術家団体赫土社(きゃくどしゃ)を創設した。1927年、フランスに渡ってアカデミー・ジュリアンに入学、翌年、パリ・インターナショナル・アート・クラブ会員となり春のサロン展に入選したが、この頃アルコール中毒になり、1929年にシベリア経由で帰国した。高知に戻って風景画を描き、個展も開催した。1933年、再度ヨーロッパに渡るため、大阪に向かうが途中で死去。

末田光一 Koichi Sueta (1949/昭和24年〜 )
鹿児島県阿久根市に生まれる。1969年、第54回二科展入選、第23回高知県展に初入選し、翌年は第47回春陽会展に初入選を果たす。1972年高知大学特設美術科卒業。1975年、第21回一陽会展に初入選。1978年、第22回シェル美術賞展で2点の《BLUE LETTER》が三等賞受賞、そのうち1点が『朝日ジャーナル』の表紙になった。1987年一陽会会員となった。1991年に第10回郷土文化会館賞展大賞受賞、1992年、第11回郷土文化会館賞展優秀賞受賞。現在は高知学園短期大学教授を勤めている。

高崎元尚 Motonao Takasaki(1923/大正12年〜 )
高知県香美郡香北町(現在の香美市香北町)に生まれる。1949年、東京美術学校(現在の東京芸術大学)彫刻科を卒業し、母校土佐高校に勤務した。モダンアート協会展に絵画に出品し、1954年に新人賞を受賞した。1957年にはモダンアート協会会員となった。1958年に東京国立近代美術館で開催された「抽象絵画の展開展」に出品。1962年、前衛土佐派結成に参加。1966年の第1回ジャパン・アート・フェスティバル(ニューヨーク)出品を機に、吉原治良主宰の具体美術協会会員となった。1972年の具体解散後は、団体に所属せず、京都や大阪で個展を毎年開催(1988年まで)。県内外での展覧会に数多く出品している。高知県内で「モダンアート研究会」「現代美術の実験」等を主宰して現代美術の振興につとめ、1996年に高知県文化賞を受賞した。

高橋虎之助 Toranosuke Takahashi(1890/明治23年〜1984/昭和59年)
高知県高岡郡日高村に生まれる。1911年に上京、太平洋画会研究所に入学し、絵画を学び始めた。1912年、太平洋画会展に入選以降、同展に出品を続け、1915年会員となった。1913年、大正博覧会で《漁村の斜陽》が入選。1918年、土陽美術会創立10周年記念展に《桃咲く島》など5点を出品。1918年、第12回文展に《春日の杜》が入選、1921年の第3回帝展に《提琴》が入選し、文展・帝展で地歩を固めた。1923年から2年間ヨーロッパに渡り、サロン・ドートンヌにも作品が入選した。1925年、太平洋画会の評議員、常務委員などを務め、1929年に太平洋美術学校教授となった。第1回新文展からは無鑑査で出品。1978年には太平洋画会会長となり、展覧会の運営に尽力するとともに、後進の指導にもあたった。

竹村文男 Fumio Takemura(1929/昭和4年〜 )
高知市に生まれる。高知県庁職員を勤めながら、絵画を描き始め、1953年から美術文化協会展に出品し、1955年に会員となった。1953年の第7回高知県展から連続して出品し、1961年の第15回高知県展から無鑑査となった。1957年に「福沢一郎展」(高知大丸)を主宰した。1958年には美術文化協会アメリカ巡回展に参加した。1979年以降、一水会展に出品(受賞3回)。また、1983年の第15回改組日展に初出品し、以後も入選を続けた。高知県立郷土文化会館在職中に「郷土文化会館賞展」等を運営した。

中澤竹太郎 Taketaro Nakazawa(1908/明治41年〜1983/昭和58年)
高知県高岡郡窪川町(現在の四万十町)に生まれる。1929年、高知師範学校(現在の高知大学)を卒業後、山脇信徳に師事。教員として、松山、須崎の工業高校に赴任。兵役を経て、1948年に師範学校助教授、翌年に高知大学助教授、1961年に同大学教授となった。1965年に退官後は画業に専念。晩年は、愛好する陶磁器のコレクションから壷を画題にした、精密な画風の作品を描いた。
遺族により70数点の作品寄贈を受けたことをきっかけに、四万十町立美術館が設立され、しばしば展覧会も開催されている。

西岡瑞穂 Mizuho Nishioka (1888/明治21年〜1973/昭和48年)
高知県安芸郡安田町に生まれる。1912年、東京美術学校(現在の東京芸術大学)図画師範科を卒業し、鹿児島県、長野県などに教員として赴任する。1925年、フランスに留学し、絵画研究に専念し、同郷の山脇信徳らと交流した。1927年にはサロン・レ・ザルチスト・フランセーに《黒猫と女》(当館所蔵)などが入選。また、同年のサロン・ソサイティー・ナショナル・デ・ボザールにも《トロカデロ》《モレー風景》などが入選。1928年に帰国後は国画会展出品を中心に活躍した。1953年から1970年にかけて高知に帰り、高知の風物や風景を油彩画や水彩画に描いた。1972年、横浜にあるこどもの国皇太子記念館内に《室戸岬》が設置されたが、後年惜しくも消失してしまった。
2007年、香美市立美術館で「西岡瑞穂-いごっそう画家が描いたパリ、諏訪、高知-」が開催された。

西内清顕 Kiyoaki Nishiuchi(1899/明治32年〜1970/昭和45年)
小高坂村(現在の高知市)に生まれる。1918年、東京美術学校(現在の東京芸術大学)に入学し、藤島武二に学んだ。1923年に同校を卒業、そのまま東京で画業に励むつもりであったが、関東大震災のため帰郷。以後、徳島県、高知県、佐賀県で教壇に立った。1928年、旧制県立城北中学校(現在の県立小津高校)在職中、高知県美術家連盟に加入し、活躍した。1956年、佐賀県立武雄高校の教頭を退職して帰郷、高知県展に出品したり、創元会高知支部に所属していた。作品名にある「鯨波(くじらなみ)」とは新潟県の地名。

信清誠一 Seiichi Nobukiyo (1901/明治34年〜1983/昭和58年)
高知市に生まれる。1920年に上京し、本郷絵画研究所で学ぶ一方、岸田劉生に師事して草土社系の画風を修得した。1919年に父・信清権馬が開校した高知城東商業学校の美術教師となった。美術団体の南無美社を結成、展覧会も開催したが、1928年に高知城東商業学校の専務理事となり、学校運営にあたるようになった。1929年から32年にかけて、高知絵画研究所、土佐美術家協会、高知美術家連盟を結成。制作だけでなく、美術史や美術理論にも詳しく、美術評論等も執筆した。1947年には高知県展に反対する立場をとり、新美術家集団を結成した。1952年に高知城東商業学校専務理事を辞し、翌年上京。読売アンデパンダン展で活躍した。

浜田葆光 Hoko Hamada (1886/明治19年〜1947/昭和22年)
高知市に生まれる。1902年に上京、審美学舎、1904年に不同舎で基本的な絵画技法を学ぶ。1906年、太平洋画会研究所で満谷国四郎、中村不折らに学び、太平洋画会に出品するようになった。1911年、白樺主催洋画展に《河添の工場》など7点を出品した。翌年は高村光太郎、岸田劉生らと第1回フュウザン会展を開催し、作品10点を出品。1915年、日本美術院展に《潮風のあと》を出品し、院友となった。翌年の第3回二科展に出品した《志摩の海岸》で樗牛賞を受賞。同年、奈良県に移住。1917年、第3回日本美術院試作展に《冬の奈良》を出品し、奨励賞を受賞。1918年、武者小路実篤の「新しき村」の村外会員になった。1922年から2年間、ヨーロッパに渡り、洋画の研究に取り組んだ。1932年、志賀直哉、村上華岳らが賛助会員に名を連ねる浜田葆光後援会ができた。

広瀬東畝 Toho Hirose(1875/明治8年〜1930/昭和5年)
高知県高岡郡佐川町に生まれる。1898年、上京して荒木寛畝に師事し、絵画を修得した。1904年のセントルイス万博では銀牌を受けた。1911年の第5回文展に《よびかたへ》が初入選。以後も文展、帝展に出品を続ける。文展や日本美術協会展で入選、受賞を重ね、作品は宮内庁や各宮家に買い上げられた。1927年の第8回帝展で無鑑査となり、帝展委員ともなった。東京高等工業学校教授などを歴任し、土陽美術会の創立会員のひとりでもあった。

藤田太郎 Taro Fujita(1901/明治34年〜1944/昭和19年)
高知県香美郡香我美町(現在の香南市香我美町)に生まれる。1921年、高知師範学校(現在の高知大学)本科を卒業し、県内各地の小学校で図画教師として勤めながら、高知絵画研究所で学んだ。1930年、第5回国画会展に《静物》が入選し、以降も出品を続けた。1933年頃、肺結核のため教職を辞し、闘病生活に入ったが、作品制作は続け、国画会の会員になった。信清誠一らと南無美社と結成し、活躍。結核も治り、教職に戻ったが、後に上阪し、大阪大丸図案部で勤めた。順調に進むと思われたが、結核が再発し、病没した。

別府道雄 Michio Beppu(1945/昭和20年〜 )
栃木県日光市に生まれる。1976年、東京芸術大学大学院修了後、1979年まで武蔵野美術大学で非常勤講師を勤めた。1979年、高知大学に着任(現在、高知大学教授)。1984年から高知県展に出品を始めた。1990年、文部省在外研究員としてイタリア留学。1997年に四国霊場28番札所大日寺(高知県)の本堂竣工慶讃散華原画全5点を制作。1998年には、臨済宗大本山相国寺塔頭養源院(京都市) の書院襖絵(「鴨図」天袋2面、「黒鷺図」2面、「白鷺図」4面、「鴫図」4面、「流沙図」4面、「流紋図」2面 )屏風「幽淵」「流韻」などを制作した。

真垣武勝 Takekatsu Magaki (1902/明治25年〜1983/昭和58年)
高知市に生まれる。1921年に高知工業学校を卒業後、神奈川県平塚市に移った。油彩画、水彩画は独学で学んだ。1924年に鳥海青児らと湘南洋画会を平塚市にて開催した。1925年に東京に移り、川端画塾に学んだ。1926年の国画会創立時の展覧会に入選し、以降も毎回出品を続けた。1935年、国画会賞受賞、翌年に無鑑査、会友となり、1937年に審査員、同人、1943年に会員となった。1952年、武者小路実篤と二人展を大阪大丸美術部主催で開催した(神戸と京都でも開催)。1955年にパリに留学し、その成果として翌年、翌々年に東京大丸、高知大丸で個展を開催した。以後も再々、ヨーロッパ、モロッコ、ネパールなどにも取材旅行。1960年には武者小路実篤、片山敏彦、小山富士夫、高田博厚と5人展を東京大丸で開催した。

蒔田瑞三 Mizumi Makita(1945/昭和20年〜1998/平成10年)
高知県南国市に生まれる。東京芸術大学卒業後、都内の学校た美術系予備校で教鞭をとった。1981年、ヨーロッパ各地で美術の研究を行い、ローマに移住した。フレスコ画の技法に出会い、イタリアの風土と芸術に魅せられ、イタリア各地の教会建築や古代遺跡などをテーマに作品を制作した。1986年に、日本人作家3人展をイタリアのスペッロ市立美術館で開催し、法王ヨハネ・パウロ2世に謁見し、《スペッロのマドンナまたは訣別》等が祝別を受けた。1987年、新宿・伊勢丹で個展を開催したのを皮切りに、東京、高知、イタリアなどでも個展、グループ展を開催した。日伊文化交流アカデミア設立に参画し、両国の文化交流に尽力した。

松本 旻 Akira Matsumoto(1936/昭和11年〜 )
大阪市に生まれる。1942年、父(洋画家・松本文一郎)の死去により、父の郷里である高知県安芸市に移り、幼少期を過ごす(1945年まで)。1953年、浮世絵摺師の光本嘉一に師事し、木版画技術を学んだ。1957年に上京し、渡邊木版美術画廊でも版画の摺りを学んだ。そこで行われる版画懇話会の月例版画展に触発され、木版画を制作、出品するようになった。同じ頃、現在美術研究所に通い、油彩画も学んだ。1964年、日本版画協会展山本鼎展受賞。1975年、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ大賞受賞。1975年から76年にかけて、文化庁派遣芸術家在外研修員としてアメリカ、ヨーロッパに滞在した。1976年、東京国際版画ビエンナーレ佳作賞、1979年、ジャパンアートフェスティバル大賞、など国内外の展覧会で数多くの賞を受賞している。

宮地俊一郎 Shun-ichiro Miyaji(1932/昭和7年〜 )
高知県幡多郡西土佐村(現在の四万十市西土佐)に生まれる。1954年、第8回高知県展に入選、以後連続出品。1961年、第4回新象作家協会展にて新人賞受賞。1956年、第10回、第14回、第16回高知県展にて特選を受賞し、1963年の第17回高知県展より無鑑査をなった。1967年、第10回安井賞展(東京国立近代美術館)に出品。この頃、安保闘争デモに東京で参加、また日教組で活動したことによりアンフォルメルに影響を受けた《抗》シリーズを展開し、当時の社会情勢への問題意識を画面に表現した。1970年以降は、度々渡欧し、落ち着いた画風の風景画を数多く制作、発表した。県内では個展開催の他、高知大学でも指導にあたるなどの活躍をしている。

森田早稲 Hayane Morita(1913/大正2年〜1983/昭和58年)
高知市に生まれる。1933年、高知師範学校(現在の高知大学)卒業後、上京して絵画を学ぶ。戦前は光風会や創元会に出品していた。戦後は帰郷し、信清誠一らと新美術家集団を結成し、活躍。高知市立商業高校、高知県立丸ノ内高校に勤務したが、1960年に再び上京し、都立高校の講師を勤めながら制作を続けた。1970年に土洋会を結成した。

.山本茂一郎 Moichiro Yamamoto (1915/大正4年〜1966/昭和41年)
高知県安芸郡田野町に生まれる。本名は茂久一(1964年、茂一郎に改名)。1932年に上京、本郷絵画研究所にで絵画を学んだ。1947年、山脇信徳、中村博のもとで高知県展創設に尽力した。多数の入選、受賞を経て1954年に無鑑査となった。1961年から65年の間は審査員も務めた。1959年に渡仏、ル・サロン展などでも活躍した。1960年に高知県文化賞を受賞した。

柳原睦夫 Mutsuo Yanagihara(1934/昭和9年〜 )
愛媛県宇和島市で生まれ、3歳のときに父の実家がある高知県に移った。1959年モダンアート展に出品した《貌》で協会賞を受賞した。1960年、京都市立美術大学専攻科修了。1962年、モダンアート協会会員となり、同年「現代日本陶芸展」(大阪松坂屋)で朝日新聞社賞を受賞。1966年に州立ワシントン大学講師として、1972年にはニューヨーク州立アルフレッド大学助教授として渡米した。帰国後は、1968年から大阪芸術大学で助教授として教鞭をとった(1984年教授、2005年退官)。高知県展でも1966年に無鑑査となり、1969年から1973年までと1979年と1980年の工芸部門の審査員をつとめた。2003年に当館で「柳原睦夫と現代陶芸の尖鋭たち」展が開催された。

山脇信徳 Shintoku Yamawaki (1886/明治19年〜1952/昭和27年)
高知市に生まれる。東京美術学校(現在の東京芸術大学)西洋画科に進学、在学中の1907年第1回文展に《町の橋》が入選した。志賀直哉らとの交流から白樺派美術展へ出品するようになり、白馬会展にも作品を出品。1909年の第3回白馬会展に《雨の夕》を出品した。第3回文展で《停車場の朝》が三等賞を受賞し、バーナード・リーチや高村光太郎に絶賛された。この頃は志賀直哉が創刊した『白樺』にも参加。1915年、第2回院展に洋画部員として参加。1917年、第4回院展に出品した《湖畔》が樗牛賞受賞。1925年、満州(現在の中国東北部)の奉天中学校美術教師を辞して渡欧、美術の研究に励む。1927年、国画創作協会洋画部に会員として加わり、以後出品を続けた。欧州から帰国後は高知に戻った。1932年、高知県美術家連盟の会長となった。1936年に土佐女子女学校の美術教員となり、同女学校40周年となtt1941年には校章をデザインした。1943年、中村博らと高知県洋画協会を結成し、戦後は高知県展の発足と発展に寄与した。1951年、第1回高知県文化賞受賞。

和田 薫 Kaoru Wada (1914/大正3年〜2006/平成18年)
高知市に生まれる。戦前、京都で嵯峨人形の絵師などをしながら日本画を学んだ。高知県展には第1回展から出品し、第6回展で無鑑査となった。2005年の第59回展まで出品を続けた。1962年日本水彩画展初入選、1976年、日本現代美術家協会展に入賞した。1980年から20年以上にわたり、高知市中央公民館で水墨画愛好者のグループ「紅墨会」を指導した。1996年の第50回展で県展功労者賞受賞。1998年には県文化環境功労者として表彰された。