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高知県立美術館コレクション展 高知の作家の版画展 ―日和崎尊夫、山本昇雲、石川寅治、坂本義信、片木太郎― 2008年3月27日(木)―5月11日(日) 開催時間|午前9時から午後5時まで(入場は4時30分まで) 会 場|高知県立美術館 1階第4展示室 観 覧 料|一般350円(280)円・大学生250円(200円)・高校生以下無料 *( )内は20名以上の団体料金。 *身体障害者手帳、療育手帳、障害者手帳、戦傷病者手帳及び被爆者健康手帳所持者とその 介護者(1名)、高知市及び高知県長寿手帳所持者は無料。 *高知県立美術館メンバーシップKoMPal会員及び年間観覧券ご持参の方は無料。 図版(左):日和崎尊夫 |
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高知国際版画トリエンナーレ展提唱者の一人であり、日本の現代木口木版画のパイオニアとして知られる日和崎尊夫、最後の浮世絵版画とも称される山本昇雲、《板垣退助像》などの油彩画で知られるほか、鮮やかな色彩とモダンな構図で『裸女十種』を木版画に表現した石川寅治、高知の版画史の草分けとなる『土佐三十絵図』を創作した坂本義信、日常の懐かしい高知の風景を牧歌的に刻んだ片木太郎ら、高知県出身作家による木版画作品約120点を紹介します。 明治から昭和にかけて、高知の作家により制作された、素朴で、モダンで、繊細な木版画作品をお楽しみください。 |
![]() 図版(右):片木太郎 |
出品作家の紹介 山本昇雲(やまもと しょううん) 1870(明治3)-1965(昭和40)年 高知県南国市に生まれる。6歳頃より山内家御抱え絵師の柳本洞素に学び、ついで1879年に河田小龍に入門。1886年、大阪に出て陶器の絵付けをしながら絵を独学、1888年、上京して滝和亭に入門。1894年、『風俗画報』に投稿した《土佐国早乙女図》(どろんこ祭り)が採用され、翌年出版元の東陽堂に絵画部員として入社、以後20年間松谷の号で多くの報道画や風俗画を描き、近代挿絵画家の先駆者になる。明治の東京を描いた《新選東京名所図会》64冊(1896-1909年)は代表作。1898年、日本美術院創立第1回展から入選を続け、《野路図》(第8回展)と《高嶽》(第10回展)が一等褒状を受ける。1907年、第1回文展から出品を続け、1912年の第6回文展で《花》(宮内庁買上)、《屠蘇》(第8回展)等で大正美人画の一翼を担う。版画家として《今すがた》(1906-09年)の美人画シリーズや《子供あそび》(1906年)等で近代浮世絵版画家として評価され、当時を知る貴重な資料としても評価が高い。 日和崎尊夫(ひわさき たかお) 1941(昭和16)年-1992(平成4)年 高知市に生まれる。1963年、武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)第二本科西洋画専攻卒業。恩地孝四郎の著書『日本の現代版画』等で木口木版画に関心を持ち、本格的に木口木版に取り組むようになる。1966年、日本版画協会展で新人賞、翌年には版画協会賞受賞。1968年頃強度のノイローゼに悩まされた日和崎は、『老子』『法華経』を読むことにより“KALPA(カルパ)”の啓示を受け、以後《KALPA》シリーズの制作を続ける。1970年、第2回フィレンツェ国際版画ビエンナーレで《KALPA-Ⅹ》が金賞受賞。1974-75年にかけて文化庁派遣芸術家在外研修員としてヨーロッパに滞在。1977年、城所祥らと木口木版作家グループ「鑿の会」を発足。1982年、高知にアトリエ「白椿荘」を建て、以後高知で創作活動を続ける。1990年、高知版画協会の設立や、高知国際版画トリエンナーレの創設にたずさわるなど、版画の発展に尽力した。 石川寅治(いしかわ とらじ) 1875(明治8)年―1964(昭和39)年 高知市に生まれる。第二中学校で上村昌訓に教えを受け、1891年に上京、小山正太郎の不同舎に入る。1893年、明治美術会の第5回展に初出品。1900年、パリ万博に出品。1901年、明治美術会の組織改革で新会務委員となって翌年太平洋画会の結成に参加、第1回展から出品。1902年から1904年にかけ、欧米へ渡って作品を発表。1907年、東京勧業博覧会で三等賞受賞。同年、第1回文展に出品、以後も帝展、日展に出品を続け、監事、審査員等として後進を指導。また在京の高知出身の美術家と土陽美術会を創設。1918年、台湾総督府の新庁舎会議堂の壁画を制作。1938年、海軍省嘱託となり中国(上海、南京、安慶)に派遣され、太平洋戦争中は南方方面へ派遣されて戦地を記録デッサン、絵画に描いた。1949年から東京教育大学講師として5年間勤める。1953年、日本芸術院恩賜賞を授与される。画風は初期の脂派の暗い色調から印象派風の明るい色調へ変わった。 坂本義信(さかもと よしのぶ) 1895(明治28)-1988(昭和63)年 高知県窪川町(現四万十町)に生まれる。1917年、高知師範学校卒業後、7年間の教師義務年限を終え上京、太平洋画研究所で石川寅治に師事。当時、木版画に取り組んでいた石川寅治の影響で木版画を学び、これがきっかけで高知県の版画芸術の草分けともいえる《土佐三十絵図》を3年がかりで完成させた。戦前に絵師、彫師、摺師を一人でこなし制作された希少な作品。帰郷後、中学校図画教員から1927年に佐川高等女学校に赴任。以後も県立中学海南学校などで教壇に立つ。また土陽美術会でも主導的役割を務めた。1935年、県公会堂で開催された土陽美術展に《土佐三十絵図》を出品、田中光顕伯爵が買い上げた。戦後に数十部が本人によって刷られた(当館所蔵は戦後版)。1947年、万国美術観光ポスター展(アメリカ)に高知県代表として出品された。画風は明るく、写実に徹して高知市近郊を人物を交えながら平明に描いた。 片木太郎(かたぎ たろう) 1926(大正15)-1999(平成11)年 高知市に生まれる。1951年、第5回高知県展洋画部門に初入選。1954年、高知大学教育学部卒業。1962年、第16回高知県展で3度目の特選、無鑑査となる。1969年、高知県展審査員を務める。高知県展出品とともに個展も精力的に開催。1983年に紀伊国屋画廊(東京)で、1987年および1995年に高新画廊(高知)で個展を開催。自画像や茫漠とした心象風景を厚塗りの堅牢なタッチで描いた。 |
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