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総会・論文発表

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7 第8

★第8回テーマ「夢新たに」

「生誕200年! 吉田東洋は
どのように研究されてきたのか
ー 坂崎紫欄から、龍馬記念館の展示まで ー」

「明治維新に華と散った安田の志士たち
― 二十三士に想う ―」

「大町桂月の『伯爵後藤象二郎』余話」

網屋喜行
竹内土佐郎
今井章博

発表者は吉田家本家の末裔にあたり、過去の東洋研究および最近の状況を、一昨年第6回大会での報告に続き、更に深く考察された。従来「もときち」とされていた東洋の通称(元吉)が、東洋の息子正春の談話(大正8年に朝日新聞掲載)によると「がんきち」とルビをふられていたことなど、新たな発見を紹介された。近年、龍馬記念館でも東洋や東洋周辺の事象をあつかった企画展を開催したことにも触れられ、東洋研究がさかんになることを期待されて報告を終えられた。

 

元治元年、投獄された土佐勤皇党の盟主・武市半平太の釈放の嘆願と藩政改革を求めて、野根山の岩佐関所へ屯集した237人のうち、これを主導したとして奈半利川原で斬首されたのが二十三士である。清岡道之助を首領とする彼らは、現在の田野町、安田町、北川村、安芸市、室戸市といった安芸郡下の郷士、庄屋、医師の人々だった。このなかから清岡治之助など安田町ゆかりの7人を取り上げ、事績を紹介した。

 

大町桂月が『伯爵後藤象二郎』を著したのは大正三年十月であったが、坂崎紫瀾・安岡雄吉・福地源一郎など、複数人の稿本を経て成稿にいたったことが分かっている。報告ではその経緯に触れられ、東京の静嘉堂文庫に所蔵されている6種類の稿本から、イカルス号事件についての記述の差異など、新しい発見を紹介された。
来年には大政奉還から150年を迎えるが、維新の立役者であった後藤象二郎の行動に着目するうえで、『伯爵後藤象二郎』は貴重な資料となる。稿本の比較によって新たな事実が解明されることの重要性をあわせて指摘された。

鹿児島県立短期大学名誉教授
(「吉田」本家の末裔)
網屋 喜行

現代龍馬学会理事
竹内 土佐郎

土佐史談会会員
今井 章博

「龍馬の刀をめぐる諸問題」

「子ども・龍馬フォーラムからスタートした
『世界に折り鶴を送ろうプロジェクト』」

「家族の肖像③
『坂本家資料に見る“坂本龍馬”』」

宮川禎一
川﨑弘佳
前田由紀枝

京都国立博物館が恩賜京都博物館であった昭和6年に、郷士坂本家の子孫・坂本弥太郎から寄贈された「坂本龍馬関係資料」は、龍馬の資料として第一級の価値をもち、大部分が国の重要文化財に指定されている。報告のなかでは、龍馬ゆかりの「吉行」「埋忠明寿」「備前長船勝光宗光」の3本の刀について、京博所蔵の「吉行」「埋忠明寿」を中心に現状を紹介された。特に、最近報道された「吉行」の科学的調査の結果をふまえ、刃文や反りについて詳しく述べられた。


 

一ツ橋小学校では、平成26年夏休み子ども・龍馬フォーラムに参加した4年生が発起人となって仲間を集め、「平和を願って折り鶴を折り、ハワイに送りたい」と校長に相談したことがきっかけで、ハワイへ折り鶴を送ることになった。その経緯やハワイとの交流、現地の高校生が、パールハーバーにあるアリゾナ記念館で来館者に平和の折り鶴をプレゼントするなど、活動の輪が広がっていく現状を報告された。

 

平成27年6月、郷士坂本家につながる坂本家(札幌市)に長年保管されていた資料の全容を調査し、多くの未見資料を発見した。坂本家資料の中に龍馬に関する貴重な記述が見つかり、その詳細を報告された。あわせて、昨年龍馬記念館で公開した、坂本家の子孫が所蔵する脇差「備前長船勝光宗光」についても紹介した。
調査の結果、今まで曖昧だった事柄が明確になったことが大きな成果であり、今後も継続して調査予定であることを述べて報告を終えた。

京都国立博物館学芸部列品管理室長
宮川 禎一

高知市立一ツ橋小学校校長
川﨑 弘佳

高知県立坂本龍馬記念館学芸課長
前田 由紀枝

「薩長和解から盟約締結へ 
― 長州内部事情と語られない過程 ―」

 

古城春樹

第8回
高知県立坂本龍馬記念館
現代龍馬学会

2016年(平成28)5月28(土)

【長州内部事情】
国の内部を見ていきたい。長州と一括りに言っても国が中で別れている。これは元々は長州の毛利家に渡されたものから内分分知されたものになるが、実はそれぞれが独立した経済地となっている。長州藩の近世史をやる方というのは大体萩藩・長府藩・徳山藩・岩国藩というような言い方をして個別に見ていくが、幕末史になると何故かいきなり長州藩という言葉でまとめていくのでその辺りで混同が生じているようだ。長州内部のそれぞれの藩も、とにかく仲が悪い。唯一、萩と清末が仲が良かっただろうかというところだが、これは長府と清末が仲が悪かったのでそこに上手く萩が寄って行き、清末に財政的な援助をすることによって、清末は萩になびいていくという構図が出来上がる。とにかく長州と言いながら内部ではずっと仲が悪かったということになる。そんな中、八月十八日の政変などを経て同じ目標(朝敵解消・京都復権)を持ちつつ段々近づいて行った。
【第一次征長と薩長和解の端緒】
政府は薩摩に終戦をお願いした。ここで政府的には薩摩との和解というのが進んでいるが、一方で武力を持っている諸隊の人たちはこれに対して反対を唱えているというのが慶応元年の状況であったといえる。その後、長府藩を窓口とした「薩長和解」への本格的な活動が始まる。慶応2年、長州藩の朝敵解消に向けた薩摩藩の活動を約す「薩長盟約」が結ばれる。以後、薩摩藩は盟約を履行。幕長間の避戦、朝敵解消に向けた活動を展開する。慶応3年ついに長州藩は朝敵の立場が解消され、京都へ戻れることとなる。
【薩長和解に関わる龍馬の評価】
龍馬は何もしていないという方が多い。その時代にずっと関わっている時田少輔が慶応2年2月2日に龍馬の活躍を「良馬東西奔走ニ而薩之意を長ニ、長之意を薩ニ告く、遂ニ御取結ニ相成」と残している。龍馬は東奔西走して、薩の意を長に、長の意を薩に告げて、薩長和解を見事まとめたというのが実際その場にいた人物の意見となる。そしてもう一点。今後龍馬研究をされる方は、長州と言う一つのかたまりで見るより、今後は「萩」「長府」と分けた方が研究が進むのではないだろうか。特に長府藩と龍馬の関係というのは相互支援、相互扶助関係と言えるほどのもので、その辺を見ていると龍馬の手紙の解釈の仕方も全然変わってくるのではないか。

     

第8回目となった現代龍馬学会は、5月28日、国民宿舎「桂浜荘」にて、総会と研究発表会が行われた。今年は下関市立歴史博物館館長補佐 古城春樹氏を特別講演にお迎えし6名の研究者が様々な角度から龍馬や幕末維新期について充実した研究発表を行った。
また、今年は小雨の中、「長宗我部火縄銃鉄砲隊」による演武が披露され、会場は大いに盛りあがった。

【来賓挨拶】
高知県教育次長 北村 強 氏
高知市教育長  横田 寿生 氏

下関市立歴史博物館 館長補佐
古城 春樹

 

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★第7回テーマ「龍馬生誕180年・原点再考」

「坂本龍馬は教科書においてどのようにとりあげられてきたか ~子どもたちにもっと龍馬を~」

「幕末長崎での出来事から
   -池道之助日記に観る-」

「高知市上町における龍馬顕彰の歴史」

宮英司
鈴木 典子
森本琢磨

平成元年の小学校学習指導要領で人物中心の歴史教育が打ち出されたさい、42人掲げられた歴史上の人物のなかに坂本龍馬の名はなかった。高知ではこのことについて疑問に思う社会科教員が少なくない。実際の教科書の記述を取り上げつつ、龍馬の歴史上におけるはたらきが先述の42人に劣らないこと、学校教育で取り上げる意義を考察した。併せて沢辺琢磨など、龍馬と同時代に生きた人々にも同様に着目した。

 

池道之助(1821~1872)は、ジョン万次郎と同じ中浜生まれで、慶応2年、土佐藩の役目で長崎へ向かう万次郎に同行し、「思出草」を記した。現代に残る貴重な史料を翻刻し、2011年に『池道之助日記』として刊行したなかから、いろは丸事件の賠償金受け取り、土佐藩が購入した蒸気船代金の受け取りなど、土佐の人間として長崎で関わったできごとを紹介した。

 

龍馬のふるさと上町における龍馬顕彰の歴史を検証する。誕生地碑は、木柱、花崗岩の碑に次いで、戦後に現在の碑が再建された。11月15日の「誕生祭」は、1979年に「龍馬まつり」として初めて開催され、以降「誕生祭」として規模を拡大した。地元では元高知市職員・吉松靖峯氏が中心となり、顕彰活動が継続されており、2004年の「龍馬の生まれたまち記念館」のオープンに至っている。

高知大学非常勤講師・一宮幼稚園長
宮 英司

池道之助5代目
鈴木 典子

高知市立龍馬の生まれたまち記念館学芸員
森本 琢磨

「風頭山・龍馬像からのメッセージ」

「『日本一の龍馬像を建てた若者たち』
                に学ぶ」

「大石団蔵の幕末・明治」

柴崎賀広
椿原庸夫
亀尾美香

昭和62年、長崎に龍馬像を建てたいという運動をスタートさせた20代の若者たちは、「龍馬の銅像建つうで会」を結成、募金活動を始めた。小遣いを募金してくれる子どもたちや、高校教師を退職しながら銅像制作を引き受けた山崎和國氏など、多くの人の協力があった。完成は延期されたものの、平成元年5月11日、風頭公園に龍馬像が完成した。活動終了後は長崎龍馬会が生まれ、銅像の維持活用をおこなっている。


 

今年米寿を迎える桂浜の龍馬像について、その建設プロセスを振り返る。銅像建設趣意書を書いた大野武夫、募金活動をおこなう青年らにフリーパスを与えるなどした土佐の交通王・野村茂久馬、幕末で陸援隊に参加していた伯爵・田中光顕、銅像を制作した本山白雲、龍馬の映画制作に応じた俳優・阪東妻三郎など、各界からさまざまな協力を得て龍馬像は完成した。

 

開催中の企画展「志士たちの明治」展で扱った大石団蔵(高見弥市)について、脱藩後の京都での動向や、薩摩藩士となって英国留学を果たしたことについて、これまで注目されなかった史料が鹿児島県史料のなかにいくつか見つかった。また、高見家にも系譜や辞令写などの史料があることがわかった。新たな史料の発見により、従来の説のいくつかを訂正する余地が生まれている。

現代龍馬学会会員 世界龍馬楽校主宰
柴崎 賀広

現代龍馬学会会員
椿原 庸夫

坂本龍馬記念館 主任学芸員
亀尾 美香

基調講演
「坂本龍馬が築いた日本人のプライド」

 

小松成美

第7回
高知県立坂本龍馬記念館
現代龍馬学会

2015年(平成27)5月25(土)

小さい頃から『竜馬がゆく』を愛読し、龍馬も高知も大好きな自分から、4つのテーマにプラスワンしてお話ししたい。
一つめは、龍馬の「不可能を可能にする強靱な意志と想像力」。龍馬はさまざまな困難を乗り越え、薩長同盟を成立させた。テニスプレーヤーの錦織圭を取材したとき、当時19才の錦織は、幕末にアメリカに渡った維新のサムライたちと心を同じくしていると語った。
二つめは、龍馬の「挫折を受け入れながらも、新たな挑戦から決して逃げない」心。龍馬はいつも命がけで、また友人を数多く亡くした。スキージャンプ選手の葛西紀明は、長野オリンピックで大きな挫折を味わったが、「自分ほど挫折を経験している選手はいない、でも挫折は素晴らしい」と語っていた。
三つめは、龍馬の「伝統と革新のはざまで、双方を理解し、思いを寄せる絶妙なバランス感覚」。龍馬は武士として古い学問や武道を学びながら、進んで新しいものを受け入れてきた。18代目中村勘三郎は、歌舞伎界屈指の名門に生まれ、最も切符の売れる役者だったが、伝統的な歌舞伎の世界に新しい風を吹き込むことに熱心だった。
四つめは、龍馬の「自分ではない他者のために力を尽くす」心。龍馬だけでなく土佐の人も、私利私欲でなく他人のために働く。3月11日の震災直後、ドイツワールドカップを戦ったなでしこジャパンは、被災地のために戦うと決意し優勝した。
そしてプラスワンは、龍馬の「争いのない国を目指した和平の心」。自分の大叔父のひとりは中国で戦死したが、遺骨を家に届けてくれたのは高知の人だった。戦後70年が経ち、若い人はすでに先の大戦を書物や映像でしか知らない。大政奉還をするために尽力した龍馬にならい、和平の心を持つことの大切さを訴えていきたい。

 
「紀要第7号」第7回総会の模様や研究発表収録。会員の方には1冊送付させていただきます。
別にご希望の方は、一度事務局(TEL:088-841-0001)にご連絡の上、郵便局備え付けの「郵便振替用紙」にてお申込下さい。
紀要は、1冊500円。送料は1冊分で82円です。1冊ご希望の場合は582円をご入金下さい。
複数冊ご希望の場合は送料が変わりますので、必ずご入金金額を確認の上、お間違えないようにお願い致します。

・口座番号:01610-3-75500
・加入者名:高知県立坂本龍馬記念館・現代龍馬学会
・通信欄:紀要第7号、希望冊数
・ご依頼人:郵便番号、住所、氏名、電話番号
 

第7回現代龍馬学会は、去る5月25日、国民宿舎桂浜荘において、総会・研究発表会がおこなわれた。基調講演には、高知県観光特使でもあるノンフィクション作家・小松成美氏を迎え、龍馬にならい現代に生きる我々がどのように生きるべきかのヒントを講演いただいた。他に会員6名の研究発表、および昨年に引き続き、今年も昼休憩のあいだに長宗我部火縄銃鉄砲隊による演武が八策広場にて披露された。

【来賓挨拶】 高知市教育長 松原和廣氏
高知市では学校教育指標に龍馬を掲げ、「土佐の先人の進取・自立の気風に学ぶ」ことを目標にしている。また道徳教育でも、「志」が今後大きなテーマとして掲げられる可能性がある。こうした状況のなかで、高知の子どもたちにはぜひ龍馬に学んでほしいと考える。今年は生誕180年行事として、鹿児島・山口・高知の中学生でフォーラムを開催する予定もある。龍馬学会には、そうした活動の礎としての役割を期待している。

ノンフィクション作家・兵庫県立大学客員教授
小松 成美

 

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★第6回テーマ「変革のとき」

「明治維新の変革と「吉田東洋」一族の生き方―「本家」の孝継と「分家」の正春の場合―」

「幕末維新期の長崎について」

「琉球に上陸したジョン万次郎」

網屋喜行
加藤貴行
神谷良昌

国指定重要文化財となっている京都国立博物館所蔵の坂本龍馬関係資料は、郷士坂本家7代・坂本弥太郎氏らが寄贈したものである。また、龍馬記念館に寄託されている龍馬関係資料の中では、坂本家縁者・弘松家のものは貴重で、7代弘松磯之助の功績が大きい。貴重な龍馬資料が守られた経緯や、今まで語られる機会が少なかった坂本弥太郎と弘松磯之助について紹介。二人に焦点を当て、龍馬をめぐる家族や時代の絆を考察した。

 

幕末維新期の長崎についてはあまり研究が進んでおらず、当時長崎に在留していた人物の日記があるが、検証されていないそうだ。そこで、これらの人々の記録を、他の資料で裏付けを取りながら幕末維新期の長崎の考察を行われた。
幕末の長崎で起こった事件や、戊辰戦争時の土佐藩及び海援隊による長崎鎮定の模様などについて、信頼性の低い資料も別の資料で裏付けを取ることで使える資料であることを証明された。また、幕末期の海援隊士の遊女屋での様子など、興味深い資料の紹介もあった。

 

現在、ジョン万次郎が最初に沖縄のどこに上陸したかは判明しておらず、『漂流人申口聞書』や久米島の資料『球陽』などを使って最初の上陸地について推察を行われた。また、地元の人ならではの潮の流れや釣り人の話などを織り交ぜた興味深い考察もされていた。そして、琉球上陸後の万次郎らの動きも、『豊見城村史』の記述などから解き明かされていた。イギリス人ベッテルハイムや、聞き取りをした牧志朝忠との関係など、大変興味深い報告だった。沖縄の子どもたちへの万次郎学習の支援もされているようで、充実した活動の様子が窺えた。

鹿児島県立短期大学名誉教授 吉田孝継子孫
網谷 喜行

『花月史』著者 長崎龍馬会主任講師
加藤 貴行

沖縄ジョン万次郎会会員
神谷 良昌

「龍馬のもう一人のお祖父ちゃんの墓所」

「坂本乙女・はちきんの武士道」

「坂本龍馬の倒幕論についての一考察」

植田英
渡辺瑠海
三浦夏樹

現在、父方の墓所である筆山の山本家墓所へ訪れる人は少ない。植田氏がこの墓所を知ったきっかけは、山田一郎氏の著書で、それ以来毎年春と秋に墓所の清掃などをしてくださっているそうだ。こうして関わっている中で、桑津姓の墓石が含まれていることに気付かれた。桑津家と山本家の関係については、先行研究を引用しながら、織田信長の家臣・鈴木三郎重家まで遡ることを紹介された。また、沢辺琢磨や山本家・坂本家・武市家の複雑な関係についても紹介があった。


 

龍馬を育てた姉・乙女について様々な言い伝えや資料を基に解き明かされた。乙女は様々な武芸を究め、和歌や三味線・一弦琴など非常に多芸な女性だった。乙女の娘と考えられる岡上菊栄は、乙女の言葉として「人生は、どんな人と交わるかで、大きく違ってゆくもの。だから、良い人に、たくさん出会いなさい。」と語っていたそうだ。この教えは、乙女から龍馬にも送られたはずで、現代の人たちにも金言となる言葉だと思う。

 

龍馬の倒幕論については、武力倒幕・平和倒幕いずれを想定していたものなのか研究者の間でも明確になっていない。資料が少なく、明確な答えは導き出せないだろうが、3年後の大政奉還150年に向けて、現存する資料から龍馬の倒幕論を考察した。先日発見された龍馬の手紙の前半は、まさに大政奉還に関わるものなので、この手紙の紹介も兼ねて、まず前半部分の読み解きを行った。その後、大久保一翁の手紙などから龍馬の思想を探った。

現代龍馬学会会員
植田 英

エッセイスト 現代龍馬学会理事
渡辺 瑠海

坂本龍馬記念館 主任学芸員
三浦 夏樹

基調講演
「坂本龍馬と長宗我部元親」

紀要第6号

長宗我部友親
紀要6号

第6回
高知県立坂本龍馬記念館
現代龍馬学会

2014年(平成26)5月17(土)

長宗我部家の血筋は、大坂夏の陣の後、盛親一族が処罰されたため本流は途絶えた。その大坂の陣で盛親に従った者の中に、元親の末弟・親房の家系の者で、五郎左衛門がいた。この五郎左衛門が土佐へ帰り、身分を明かした上で山内家に仕えた。五郎左衛門は島姓を名乗り、その子孫も幕末頃まで長宗我部を名乗ることができず、厳しく長い忍従の道をたどったそうだ。友親氏は、この五郎左衛門の子孫であり、2010年に『長宗我部』という大変興味深い本を執筆された方である。幕末の島家当主は与助で、その次男に浪馬がいた。この2人は龍馬の池内蔵太家族宛ての手紙に登場しており、交流は深かったと考えられるそうだ。友親氏は、龍馬一番の仕事を大政奉還と考えておられた。慶喜は大政奉還にあたり、新政府が薩長に支配されることを恐れていたが、その懸念を払拭させたのが、船中八策第2条の「万機宜しく公議に決すべき事」だったのではないかと考えられていた。龍馬のこの発想は、元親が廓中で講義をさせて育ててきた土佐南学に通じるそうだ。長宗我部家には南学を取り入れた兵法があり、家訓として「鞘の中で決せよ」つまり、刀を抜いたらそれは意味がない、政策で物事を決めていく、という言葉だそうだ。それを龍馬も受け継いでいたのではないだろうか、と推察された。現代をみると、国の財政は破綻の域に入っており、人口も減り続けている。今後は医療や福祉に国家予算を大きく使わなければならないが、現在は民主主義であり、民主主義は個人の欲望が優先される。それゆえに、長期的な計画を立て遂行するという我慢の政治ができにくい。今こそ龍馬のように腹を決めて、自分の身を挺して政策を決めて新しい良い時代を造る、そういう変革を前向きに行っていくということが大事だと思う。第2の坂本龍馬が土佐から現れることを願う、という期待の言葉で話を終えられた。

 
   第6回総会の模様や研究発表収録
 ( 会員配布)一般販売は完売につき終了
   

長宗我部家17代当主
長宗我部 友親

 

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★第5回テーマ「時代の絆」

「“龍馬”を守ってきた男たち
    ~坂本弥太郎と弘松磯之助~」

「同じ時代(とき)を生きた者達の剣」

「お龍さんの生涯(晩年を中心に)」

前田 由紀枝
森本 邦生
岩﨑 義郎

語られることの少なかった二人を紹介

国指定重要文化財となっている京都国立博物館所蔵の坂本龍馬関係資料は、郷士坂本家7代・坂本弥太郎氏らが寄贈したものである。また、龍馬記念館に寄託されている龍馬関係資料の中では、坂本家縁者・弘松家のものは貴重で、 7代弘松磯之助の功績が大きい。貴重な龍馬資料が守られた経緯や、今まで語られる機会が少なかった坂本弥太郎と弘松磯之助について紹介。二人に焦点を当て、龍馬をめぐる家族や時代の絆を考察した。

 

剣術の実演映像を交えリアルに

武術の修行は単に戦の技術の取得のみではなく、物事の考え方にも影響を与える。坂本龍馬に縁があった者達がどのような流派を修行したのかを考察した。北辰一刀流、小野派一刀流(中西派)、直心影影流、神道無念流、大石神影流など、幕末に活躍した人物が修行した流派の特徴を述べた。これらの流派を学んだ人たちが幕末の動乱期に活躍したのは剣術修行と無関係ではなかったことを紹介した。森本氏自身が武術家であり、実演や竹刀の紹介など興味深かった。

 

軽妙な語り口で

お龍さんの生涯を、龍馬との出会い、寺田屋事件、霧島への新婚旅行をなぞりつつ、龍馬の死後を中心に考察した。高知坂本家での様子、西郷を訪ねた時、坂本直を訪ねた時、料亭・田中家での様子、戸籍について等、多数のエピソードを新聞・雑誌記事を中心に紹介。軽妙な語り口で会場には笑いも起こった。

坂本龍馬記念館学芸主任
前田 由紀枝

広島県立佐伯高等学校
森本 邦生

土佐史談会理事・
NPO法人土佐観光ガイドボランティア協会顧問
岩﨑 義郎

「中岡慎太郎の思想について 
    ―「時勢論」を中心に―」

「龍馬は神戸で何を学んだか
~ 神戸海軍操練所に学んだ
        海援隊の運営手法~」

「司馬遼太郎のこと」

豊田 満広
右近 浩幸
窪内 隆起

慎太郎の本当の思いとは

慎太郎の政治思想は、「時勢論」の文言を引用して、「武力討幕」であると捉えられている。だがその後に書かれた「窃ニ示知己論」「愚論窃カニ知己ノ人ニ示ス」「時勢論」と併せて読むと、その評価が当たらないことがわかる。これら4つの論策は、幕末期の日本の政治状況および海外情報を冷静に分析し、日本が独立国家として、欧米諸国と対等に交際するために必要な事柄について述べている。日本が独立国家として、欧米諸国と対等に交際する慎太郎の思想について述べた。


 

地元神戸からの考察を

神戸海軍操練所は、勝海舟が発案した西日本中心の海軍育成機関であり、坂本龍馬も所属していた。しかし、神戸海軍操練所に関する史料は非常に少なく、どのような組織であったかさえ明確にはなっていない。数少ない史料ではあるが調べていくと、神戸海軍操練所の運営内容は、龍馬に多大な影響を与えていたことが分かる。後に龍馬自ら運営を行った亀山社中、海援隊は、神戸海軍操練所で得た知識が基礎となっていたことを考察した。

 

担当記者が語った司馬“千夜一夜”

作家・司馬遼太郎最初の新聞連載「竜馬がゆく』。この大成功により一躍人気作家となった司馬さんは、当時、新聞雑誌に連載17本、「坂の上の雲」の時に11本と、まさに超人的な活躍であった。歴史作家としての地位を確立したといわれる「戦国四部作」に対する作者の思いや、作者自身が一番好きな自分の作品などについて触れた。人間・司馬遼太郎のやさしさ、ユーモラスなエピソードなど時間の限り語った。

中岡慎太郎館 学芸員
豊田 満広

兵庫龍馬会
右近 浩幸

元産経新聞司馬遼太郎氏担当記者
窪内 隆起

5周年記念講演
作家・山本一力さん大いに語る
「龍馬と万次郎~21世紀を生きるヒント」

紀要第5号

山本 一力
紀要第5号

第5回
高知県立坂本龍馬記念館
現代龍馬学会

2013年(平成25)5月11(土)

土佐人と“いちびり精神”

山本一力さんは、現在連載20本を持ち、執筆と同時に国内外を取材旅行する“時の人”である。そんな多忙の中での講演。学芸員はもちろん、一般参加者も多く、会場は気持ちの良い緊張感にあふれた。「皆さんとこうしてこの空間の中でご一緒して、話をさせてもらえるというのは本当にありがたい」。そう切り出した山本さんは、自身の体験を交えて、執筆中の龍馬やジョンマンへの思いを語った。

 
   第5回総会の模様や研究発表収録
 ( 会員配布)一般販売は完売につき終了
   

作家
山本 一力

 

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★第4回テーマ「志(こころざし)に生きる」

「龍馬と真吉」
“飛騰”の下に隠れている文字とは

「脱藩を決意した旅~坂本龍馬は脱藩直前、
宇和島藩に来ていた」
龍馬は宇和島を通ったか?

「坂本龍馬にみる21世紀型能力~龍馬の能力を国際的学力観点で分析する~」
教育者の観点から龍馬を分析

渋谷雅之
大城戸圭一
川﨑弘佳

坂本龍馬と樋口真吉には20歳の年齢差があり、その生き様も対照的である。樋口真吉日記、『遣倦録』および『日新録』に記録された龍馬を通じて、両人の関係を探った。樋口真吉の日記に登場する龍馬、『遣倦録』の成立と“坂竜飛騰”についての詳しい考察を述べた。『遣倦録』の第一頁に書かれた「飛騰」および「武楯」の文字は後筆であり、慶応3年2月27日以降、明治3年6月14日までの間の記述と考えられる、など渋谷氏は遣倦録の成立過程や後筆の意味等について考察した。研究者としての論証には説得力があり、会場からは「新たな真吉像が見えてきた」という感想が多かった。

 

文久元年(1861) 10月から翌文久2年1月までの4ヶ月間の坂本龍馬の足跡について発表した。龍馬は、文久元年12月(脱藩の4ヶ月前)に讃岐・丸亀城下の矢野市之進道場を訪ねた後、伊予路を東から西に下り、松山を経て大洲を通り宇和島に行っていたというものである。宇和島を訪ねた後、松山まで帰り、瀬戸内海を渡って長州・萩に久坂玄瑞を訪ねたという推論である。高知出身であり、愛媛在住が長い大城戸氏ならではの長年の研究、考察の成果であり、特に久坂玄瑞を訪ねる前のルートは不明であるため、興味深い発表となった。

 

幕末の要人からの高い評価を得ている坂本龍馬は、どのような能力、行動特性があったのか。龍馬の生育暦や当時の行動及び主な書簡等から龍馬の能力を見出し、3つの現代の国際的学力観点を用いてその能力を整理した。国際的学力の観点として国際化と高度情報化社会で求められる主要な能力概念であるキー・コンピテンシー(行動特性)を取り上げた。キー・コンピテンシーとは、知識や技能だけでなく人生の成功と良好な社会を形成するために必要不可欠な能力で、龍馬は国際学力観点から見ても、優れた能力を満たし、21世紀に通じる傑出した人物であるといえる。

徳島大学名誉教授
渋谷 雅之

愛媛龍馬の会会長
大城戸 圭一

高知市立昭和小学校教頭
川﨑 弘佳

「司馬遼太郎と『竜馬がゆく』」
担当記者が見た司馬遼太郎の世界

「紙聖(しせい)吉井源太と龍馬精神」
土佐藩の財政を支えた“土佐和紙”

「シェイクハンド龍馬像」
触れる銅像制作の裏話

窪内隆起
吉井淳
吉岡郷継
現在の龍馬ブームのきっかけは、司馬遼太郎さんの『龍馬がゆく』であったと多くの人が言う。その『龍馬がゆく』の産経新聞連載が始まったのが1962年。ちょうど50年前になる。司馬さんは1960年に『梟の城』で直木賞を受賞。その2年後から『竜馬がゆく』の連載が始まったのである。司馬さんにとって、新聞連載はこれが初めてであった。「龍馬」を主人公に書くのも初めてである。どうして龍馬を書くことを決めたのか、なぜ「龍馬」でなく「竜馬」なのか、キャラクター作りはどう工夫したのか、ヒントになるどんな人物が居たのか。窪内氏が次々と語る司馬ワールドは、まさに『千夜一夜物語』の感であった。

 
源太より龍馬は9歳下であるが、龍馬は33歳で亡くなり、源太は83歳まで生きて明治の文明開化の世の中を見つづけた。その点において龍馬の志がどのように果たされたかの検証人でもあるといえる。龍馬は大政奉還から江戸城の無血開放への道を切り開いたが、早く日本を大掃除し世界の海援隊として漕ぎ出したいとウズウズしていたと思う。源太はその国際的な舞台に立つこができた。龍馬と源太には、正義に裏付けされた強さと、弱い立場の人民に対する優しさやいたわりの心という共通点がある。根底には土佐人気質、イゴッソウ精神がある。このような先人の志を後世に受け継ぐことが私共の使命だと思う。
 
昨年11月、県立坂本龍馬記念館前に建てられたシェイクハンド龍馬像は、銅像に直接触れられる、握手ができる像として話題を呼び、人気を集めている。しかも、この像は3人の作家による共同制作である。制作者のひとりとして、前例のないモニュメント造りの顛末を話した。彫刻家は語らず、作品に語らせることが大事だが、あえて壇上に立った。これまでの龍馬との関わりと、龍馬像造りのきっかけ。3人の共同制作者の意味とは何か。触ることができる彫刻はあるのか?媚を売る龍馬になりはしないか?そういった疑問をとことん話し合い、三人三様の思いを一つにしたものが「シェイクハンド龍馬像」である。

元産経新聞司馬遼太郎氏担当記者
窪内 隆起

吉井源太後裔
吉井 淳

土佐山内宝物資料館評議員
吉岡 郷継

「幕末の“志士”と“志”」
素朴な疑問に研究者としての考察を

紀要第4号

亀尾美香
第4回紀要

第4回
高知県立坂本龍馬記念館
現代龍馬学会

2012年(平成24)5月12(土)

「志(こころざし)」とは、困難にくじけず、目的を成し遂げようとする強い気持ちであり、私のためでなく、公の利益のために尽くそうとする気高い精神である。志はときに自らの命より優先される。志を持った人を「志士」と呼ぶが、明治維新に貢献した多くの人々は、みな私を顧みず公に尽くした「志士」である。ただ「志士」と言っても、時期や環境などにより多様である。一例として「草莽の志士」があり、下級武士や村の支配層など、身分的に低い階層の出身者が「志士」と呼ばれるのが一般的。幕末土佐で、「志士」と呼ばれる人々はどのような人々で、どのような志を持っていたのかを、史料から考察した。
 
「紀要第4号」第4回総会の模様や研究発表収録。会員の方には1冊送付させていただきます。
別にご希望の方は、一度事務局(TEL:088-841-0001)にご連絡の上、郵便局備え付けの「郵便振替用紙」にてお申込下さい。
紀要は、1冊500円。送料は1冊分で82円です。1冊ご希望の場合は582円をご入金下さい。
複数冊ご希望の場合は送料が変わりますので、必ずご入金金額を確認の上、お間違えないようにお願い致します。

・口座番号:01610-3-75500
・加入者名:高知県立坂本龍馬記念館・現代龍馬学会
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坂本龍馬記念館学芸員
亀尾 美香

 

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★第3回テーマ「自由・平等・平和」

「龍馬と土佐勤王党の関わりについて」

「坂本龍馬が現代に生きている
~龍馬像の変遷~」

「海舟の政治理念『憤言一書』を読む」
三浦夏樹
広谷喜十郎
髙山みな子
原理原則に忠実に動くのが土佐藩の人の特徴であった。同じ土佐勤王党の中でも脱藩には絶対的に反対であった半平太の生き方、そして同じ勤王党でも考えの違いから龍馬や吉村寅太郎のように脱藩を選んだ者たち。脱藩罪とは何なのか。次男坊だった龍馬、長男でありながら脱藩した池内蔵太との明確な違いを解説、龍馬が内蔵太の母に宛てた手紙から、龍馬の心情、土佐勤王党の置かれていた状況など、深く繊細な研究考察に会場から拍手があがった。
 
「私も龍馬的な生き方をしたい!」若い頃にそう思って以来ずっと龍馬ファンであるという広谷氏。「戦後、平和を願った司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に投影された龍馬の姿は、人々に前を向く勇気を与えたと思う。私が幾多の講義を通じて出会った人々の中にも、“苦悩を救う龍馬の姿”があった」という。「現代の若者は、母親の影が色濃く刻まれた龍馬とは違い、母親の存在自体が希薄になっている。しかしそれでも尚、龍馬は現代人の心に生き続けているのは希望です」今後は「龍馬精神に学ぶたくましい人間作り」が大切だと説いた。
 
現代に活かす海舟の知恵。彼が役人につきつけた「憤言一書」を読み解きつつ、現代と幕末に共通するふがいない役人の対応に物申す。中近東の政情不安が日本にも影響している上に震災、原発、立て続けに起こりこのままではどうなってしまうのかと我々は非常に不安定な状態に置かれている。現代の日本は幕末と非常に似ている。平和を望み、アジアとの国交を説いた海舟の言葉は、現代にも大いに活きている。グローバル化ばかりが叫ばれている今、私たちはもう一度アジアの中の日本として、何ができるのかを再確認せねばならないのではないかと力強く説いた。

高知県立坂本龍馬記念館主任学芸員
三浦 夏樹

土佐史研究家
広谷 喜十郎

勝海舟玄孫
髙山 みな子
「慶応元年九月九日、
龍馬は手紙をどう書いたのか?」

「龍馬における自由平等思考」

「讃岐と龍馬 顕彰碑の建立」

宮川禎一
坂本登
野藤等
鳥獣戯画と同じく九月九日に書かれた龍馬の手紙にはからくりがあった。紙についたシミが上下左右同じであること、紙の折り目などから裏紙をはがして一枚にして保存されたものであると検証。龍馬が紙の表裏を使って手紙を書き続けた様子、これらのことから龍馬という人物の思考方法の一片が見えてくると宮川氏。これから、ものごとをどのような形で組み立て、手紙にし、どういう考えをもって書いていたかを考察。これも書かねば、あれも書かねばと思いついたことを自由に書き記していた龍馬の姿が微笑ましく浮かんでくる考古学室長である宮川氏らしい斬新な発表。非常に興味深かった。

 
「薩長同盟」を成し「大政奉還」に尽力し、「船中八策」を起草した龍馬の自由と平等、民主国家を目指した思想。新しい日本のために奔走した龍馬を生んだ土佐という風土、そして家族環境などについて現代の視点から考察。龍馬に影響を与えた川島伊三郎、高松順蔵などの非常な知識人から得た知識は、龍馬の自由平等精神の骨格を成していったのではないか。そして幕末と現代を結ぶ土佐南学、父である坂本家が代々信仰しているキリスト教についても、いごっそうだった父・坂本直行の思い出と共に語った。
 
讃岐出身の勤王の志士たちの活躍と讃岐を訪れた龍馬の足跡を辿ると共に、讃岐龍馬会塩飽社中のパワフルな顕彰碑の建立活動を伝える。また会津藩佐々木只三郎の兄が讃岐で副知事として勤務していた記録や、龍馬が江戸で剣術修行に訪れた千葉道場の千葉重太郎が讃岐を訪れた記録など、讃岐と縁のある龍馬周辺人物の研究成果や発見報告を次々と報告。会場からは驚きの声が漏れた。今後の讃岐と勤王の志士たちの活躍に注目したい。

京都国立博物館学芸部考古室長
宮川 禎一

郷士坂本家9代目
坂本 登

讃岐龍馬会塩泡社中事務局長
野藤 等

「私と龍馬さんと梼原のこと」

「龍馬の生まれ育ったまち」

紀要第3号

橋詰明仁
上野麻衣

第3回紀要

「竜馬がゆく」を読破し、生まれ故郷梼原の志士が全国区であったことに感激して龍馬さんへの情熱が高まったという橋詰氏。記念館カルチャーサポーターとしても熱弁を振るっているが、今回は梼原と偉人の研究発表に挑んだ。鎌倉時代から室町時代に五山文学の双璧と義堂周信と絶海をはじめ、明治維新の先駆けとなった吉村寅太郎、那須俊平、那須信吾。梼原が創出した文化や志士について、軽妙なしゃれを利かせた解説で会場を盛り上げた。
 
龍馬の豊かな情緒や人間性を育て上げたのは、家族や仲間たちとともに過ごした現在の上町というまちであり、龍馬という人間のもとをつくった大切な場所。上町にある「龍馬のうまれたまち記念館」の上野学芸員が見た龍馬の素顔。龍馬という名前から「辰年生まれ」「午年生まれ」と誤解されがちだが、実は龍馬は師匠の海舟と同じ「未年生まれ」、上野さんも同じ未年だと会場を和ませた。身分制度に絡んだ厳しく細かい決まりごとについて高知風土記から幕末当時の上町周辺のようすをしばし散歩しているような語りが好評だった。
 

第3回総会の模様や研究発表収録
( 会員配布)一般販売は完売につき終了

記念館カルチャーサポーター
橋詰 明仁

龍馬の生まれたまち記念館学芸員
上野 麻衣

第3回
高知県立坂本龍馬記念館
現代龍馬学会

2011年(平成23)5月28(土)

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★第2回テーマ「飛躍・龍馬スピリッツ」

「土佐鐔について」

「龍馬が開眼した旅路~四国龍馬街道~」

「池道之助旅日記(思い出草
・ 噺しの種)を読んで」
公文久雄
春野公麻呂
鈴木典子

土佐歴史資料研究会
公文 久雄

NPOロンプ代表
春野 公麻呂

池道之助5代目
鈴木 典子
「幕末土佐に於ける鉄砲の変遷」

「幕末の色
~龍馬のモダンなカラーセンス~」

「明智光秀と龍馬」

小島一男
大倉美知子
坂本世津夫

土佐歴史資料研究
小島 一男

カラーオフィスPERSONAL 代表
大倉 美知子

高知大学国際・地域連携センター教授
坂本 世津夫

「坂本龍馬と竹島開拓」

紀要第2号

小美濃清明
第2回紀要

第2回
高知県立坂本龍馬記念館
現代龍馬学会

2010年(平成22)5月22(土)

歴史研究家
小美濃 清明

第2回総会の模様や研究発表収録
( 会員配布)一般販売は完売につき終了

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★第1回テーマ「夢と出会い」

「家族の肖像 龍馬の子孫たち」
「ジョン万の夢・龍馬の夢」
「横笛のことなど 北海交易の夢」
前田由紀枝
北代淳二
渋谷雅之

高知県立坂本龍馬記念館学芸主任
前田 由紀枝

国際ジャーナリスト・ジョン万次郎研究家
北代 淳二
徳島大学名誉教授
渋谷 雅之
「龍馬研究 龍馬の歌」
「夢分析に見る “幕末”」
「龍馬脱藩の道その後」
永国淳哉
渡辺瑠海
村上恒夫
歴史研究家
永国 淳哉
エッセイスト
渡辺 瑠海
歴史研究家
村上 恒夫
「手紙にみる龍馬の心」
紀要第1号
宮川禎一

第1回
高知県立坂本龍馬記念館
現代龍馬学会

2009年(平成21)
4月18日(土)ー19日(日)

京都国立博物館
宮川 禎一
第1回総会の模様や研究発表収録
( 会員配布)一般販売は完売につき終了

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