高知県立坂本龍馬記念館TOPページへ

 


それぞれの幕末−龍馬・半平太・そして以蔵−
  期間 平成18年7月1日(土)〜8月31日(木)

 

幕末土佐藩の下級武士に生まれた3人は、日本を守るため、短い人生を全力で駆け抜けた。
半平太と遠い親戚関係にあたる龍馬は、半平太が組織した土佐勤王党に一時籍を置くが、土佐藩に見切りを付け、脱藩して活躍し、33歳、京都で暗殺された。
半平太は土佐勤王党を組織し、天皇の下に統一された国家を作り上げることを目指して奔走した。しかし、義に厚い性格ゆえに藩を捨てきれず、山内家に対して諫言を繰り返し、最後は37歳で切腹を命ぜられた。
以蔵は半平太の懐刀として土佐勤王党の裏の部分を担当した。京都で邪魔な要人を暗殺し、土佐勤王党の発言力を強めることに奔走した。無学な剣客的なイメージがある一方、開国思想を持つ勝海舟の護衛を務めたり、ピストルを持っていたり、意外な一面を備えていた。その以蔵は28歳の時、土佐藩によって斬首されたのち、首をさらされた。
この3人は、それぞれが自分の信じた道を突き進み、それぞれが違った死を迎えた。その死を通して、3人の生き様を紹介したい。


                              高知新聞 2006年(平成18年)8月17日(木曜日) 新聞掲載記事

人物紹介

坂本 龍馬
さかもとりょうま

天保6年11月15日〜慶応3年11月15日暗殺。享年33歳。墓は京都市東山区清閑寺霊山町の霊山墓地にある。土佐国高知城下本丁に生まれる。通称は龍馬、諱(いみな=本名)は直陰(なおかげ)のち直柔(なおなり)、号は自然堂。

   

武市 半平太
たけちはんぺいた

文政12年9月27日〜慶応元年閏5月11日切腹。享年37歳。墓は高知市吹井茗荷谷と京都市東山区清閑寺霊山町の霊山墓地にある。土佐国長岡郡吹井村に生まれる。通称は半平太、諱(いみな=本名)は小楯(こたて)、号は瑞山(ずいざん)。戯曲「月形半平太」のモデルとされる。

   

岡田 以蔵
おかだいぞう

天保9年〜慶応元年閏5月11日斬首の後さらし首。享年28歳。墓は高知市薊野の真宗寺山にある。土佐国土佐郡江ノ口村に生まれる。通称は以蔵、諱(いみな=本名)は宜振(よしふり)。「人斬り以蔵」の異名を持つ。

   
 

主な展示資料                                                ※他、パネル13枚

坂本龍馬資料

慶応3年10月18日直筆書簡、慶応3年11月13日直筆書簡、血染めの掛け軸(複製)と屏風(複製)、陸奥守吉行、坂本龍馬肖像画(公文菊僊)〔以上、当館蔵〕

   

武市半平太資料

文久2年2月6日小笠原保馬宛て武市半平太書簡、武市瑞山肖像画(公あ文菊僊)〔以上、当館蔵〕
半平太自刃の短刀、半平太宅跡並切腹図、吉田東洋斬奸状、久坂玄瑞武市宛書簡
(以上4点、高知県立歴史民俗資料館から借用)
文久2年8月18日妻富子宛て武市半平太書簡(新発見)
元治元年1月21日姉奈美・妻富子宛て武市半平太書簡(初公開)
慶応元年5月15日妻富子宛て武市半平太書簡(初公開)〔以上3点、個人蔵〕

   

岡田以蔵資料

ピストル〔個人から借用〕

   
 

2階企画展示室 展示資料

坂本龍馬肖像画(公文菊僊)

武市瑞山肖像画(公文菊僊)

武市瑞山獄中自画像

武市富子写真

元治元年6月15日・姉奈美・妻富子宛、武市半平太書簡

文久2年8月18日・妻富子宛、武市半平太書簡
(新発見)

慶応元年閏5月10日・妻富子宛、武市半平太書簡

元治元年1月21日・姉奈美・妻富子宛、武市半平太書簡
(初公開)

慶応元年2月25日(3月22日)・姉奈美宛、武市半平太書簡

慶応元年5月15日・妻富子宛、武市半平太書簡
(初公開)

文久2年2月6日・小笠原保馬宛、武市半平太書簡

伝・岡田以蔵のピストル

慶応3年6月24日・姉乙女宛(複製)5mの手紙

河田小龍筆 高知市街全図(1878年製作)

紙瓢(しひょう)・島村寿之助(富子の叔父)獄中作

高知県護国神社「招魂社明細帳」(カラーコピー)

 
 

地下2階資料展示室 展示資料 

いろは丸想像図

對馬屋銘板

慶応2年1月23日・木戸孝允書簡・薩長同盟表書き
(カラーコピー)

慶応2年2月5日・薩長同盟裏書き(複製)

スミス&ウエッソン第U型 32口径(模型)

スミス&ウエッソン第T型 22口径(模型)

月琴・一弦琴

田中良助具足

借用証文(複製)

慶応2年11月20日・寺田屋お登勢宛(複製)

慶応3年11月13日・陸奥宗光宛(真物)

慶応3年10月18日・望月清平宛(真物)

血痕の付いた掛け軸、屏風(複製)

陸奥守吉行の刀(真物)

寺田屋お登勢の写真(裏面・坂本直寛覚書)

慶応3年11月10日・林謙三宛(複製)

慶応3年6月24日・兄権平宛(複製)

慶応3年11月11日・林謙三宛(複製)

慶応3年5月中旬・寺田屋伊助宛(複製)

慶応3年11月5日・新政府綱領八策(複製)

文久3年6月29日・姉乙女宛(複製)

文久3年5月17日・姉乙女宛(複製)

慶応3年10月9日・兄権平宛(複製)

慶応3年4月初旬・姉乙女宛(複製)

元治元年6月28日・姉乙女宛(複製)

慶応3年4月7日・姉乙女宛(複製)

慶応3年8月8日・兄権平宛(複製)

慶応3年5月8日・三吉慎蔵宛(複製)

慶応2年11月・溝渕広之丞宛(複製)

いろは丸事件始末書(複製)

慶応元年9月9日・姉乙女、おやべ宛(複製)

慶応2年12月4日・姉乙女宛(複製)

文久3年3月20日・姉乙女宛(複製)

龍馬和歌「世の人は・・・」(複製)

武市半平太宅跡並切腹図(高知県立歴史民俗資料館)

伝・武市半平太自刃の短刀(高知県立歴史民俗資料館)

文久元年12月21日・武市半平太宛、久坂玄瑞書簡
(高知県立歴史民俗資料館)

吉田東洋斬奸状(高知県立歴史民俗資料館)

汗血千里の駒(初版本)

慶応3年2月13日・寺田屋お登勢宛

大日本海陸全図

天保年間高知廓中心図

絵馬・夕顔

夕顔丸・1/22模型

西陣織の坂本龍馬

坂本龍馬像(陶板)

慶応3年秋頃か・縁側に腰掛ける写真

慶応2年夏〜秋頃か・座像写真・上野彦馬スタジオで撮影
(立姿写真と同じ日に撮影か)

慶応2年夏〜秋頃か・顔写真1・上野彦馬スタジオで撮影
(立姿写真と同じ日に撮影か)

慶応2年夏〜秋頃か・顔写真2・上野彦馬スタジオで撮影
(立姿写真と同じ日に撮影か)

慶応2年〜3年頃か・伊藤助太夫らとの写真

龍馬肖像(油彩画の写真)

 
Copyright (C) 2006 The Sakamoto Ryoma Memorial Museum.