亀山社中と海援隊ロゴ

【更新情報】


・18年1月29日(日)
「亀山社中と海援隊」閉幕
・18年1月18日(水)
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・17年12月1日(木)
展示資料、展示パネルの
コーナーがオープンしました

・17年11月14日(月)
サイトオープン

関連企画
展示資料
展示パネル

「亀山社中と海援隊」展 
 期間 平成17年11月5日(土)〜平成18年1月29日(日)

生誕170年を迎えた今でも、龍馬の人気は衰えることがありません。当館にお越しくださる皆様の声を聞いていても、そのことを強く実感します。龍馬は28歳のときに土佐を脱藩し、新しい日本という国づくりに向かって飛び立っていきました。そんな龍馬は33歳で暗殺されます。暗殺されるまでの5年間が、彼の人生の全てだったといって過言ではないでしょう。その人生のバックボーンとして、亀山社中、海援隊という組織、その仲間たちの存在が大きかったはずです。龍馬ばかりでなく、亀山社中、海援隊に参加した20名余りの若者たちも同じように新しい国づくりに向けて、まっすぐなまなざしと熱い志をもって進んでいきました。 神戸の勝塾や海軍操練所時代を経て、若者たちは新天地・長崎に自分たちの夢と理想を求めます。亀山社中、海援隊では、航海術や海軍の勉強をしながら、自分たちの力で稼いでいく道を探りました。 白袴姿の血気盛んな若者たちが長崎の町を闊歩する様子は、すぐに土地の人々のうわさになったことでしょう。しかし、彼らは臆することなく、そこから縦横無尽な働きをはじめます。若いひたむきなエネルギーは、時に仲間を失うこともありました。未熟さを超えた情熱が、大きな事故を呼ぶこともありました。様々な困難にも遭遇しながら、若者たちは時代の波をくぐり抜けていきます。海援隊長である龍馬の死も乗り越えて、隊士らは新しい時代を迎えます。個性が時代とぶつかり合って、様々なドラマが生まれ、いつの時代も人はあきらめることなく生を全うしようとします。この『亀山社中と海援隊』から、何か今に生きるヒントを見つけることはできないか。そんな期待をもって彼らを知っていただきたいと思います。

【H17年11月14日開設】
 
 
 

「亀山社中と海援隊」関連企画

Vol.1

龍馬をめぐる人々〜1日バスツアー〜

2005/11/12(土) 8:00-17:30

Vol.2

アニメ「おーい竜馬」とお話の会

2005/11/19(土) 開演18:00(開場17:30)

Vol.3

西村直記コンサート「坂本龍馬FOREVER」

2005/12/03(土) 開演18:00(開場17:30)

No.1

海の見える・ぎゃらりい「国吉晶子展」

2005/11/05(土)〜2006/01/30(月)

 
 

「亀山社中と海援隊」展示資料

海援隊旗

海援隊約規

新政府綱領八策

いろは丸想像図

いろは丸事件始末記

万国公法

長井長義日記・写真

西洋軍艦構造分解図説

輿地航路(世界地図)

脱藩後最初の手紙・乙女宛

海援隊長就任直後・乙女宛

長岡謙吉宛

寺田屋伊助宛

溝渕広之丞宛

陸奥宗光宛

 

 

 

 

 

 

 
 

「亀山社中と海援隊」展示パネル

龍馬の生涯と亀山社中・海援隊

「亀山社中から「海援隊」へ

出発 神戸(1863〜1864年)

挫折を越えて

新天地 長崎(1865〜1867年)

日本の夜明け(1867年)

躍動 下関(1866年)

海援隊その後

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